引用元:https://www.instagram.com/p/Cf2E9tWIu_5/?utm_source=ig_web_copy_link
皆さんこんにちは。
第21回のStory of Buildersはウェスリー・ヴィサーズ(Wesley Vissers)選手です。
10月初頭に開催されたYamamoto France PROでは見事に優勝し、3年連続のオリンピアを決めました。
2018年頃からインターネット上で「アーノルド・シュワルツェネッガー2世」として一気に有名になりました。
骨格がアーノルドに近く、ポージングもアーノルドをリスペクトしたものが多かったため、多くのボディビルファンが彼に期待しました。
しかし、なかなかオリンピアでは思うような結果が出せず苦い思いをしました。
なぜボディビルを始めたのか、そしてボディビルダーとして成長してきた過程をご覧ください。
目次
基本プロフィール
身長:約189cm
体重:約112kg(大会時)
国籍:オランダ王国
生年月日:1993年5月6日
この投稿をInstagramで見る
生まれ~ボディビルダーになるまで
ウェスリー坊やは1993年5月6日オランダはオーステルハウトで誕生しました。
子供のころから好奇心旺盛で、色々なモノに興味を持っていました。
日本文化からも影響を受けていたようで、小学生の時は遊戯王やドラゴンボールに夢中になっていました。
他にもスーパーヒーローが出てくる映画など惹かれるものはたくさんありましたが、数ある趣味の中でもウェスリーは天体観測が大好きで、夜になるとよく星を眺めていました。
星に関するテレビ番組やラジオ番組があれば欠かさずチェックして、星の知識を増やすのが彼の趣味になっていました。
そんな彼の将来の夢は天文学者でした。
しかし、ある日小学校の先生から
「天文学者じゃお金持ちにはなれないよ」
と言われてしまい、ウェスリー少年の夢は砕け散りました。
当時はお金よりも夢を大切にするというような感覚はなく、お金持ちになれないというだけでウェスリー少年にはショックだったのです。
そこから新しい夢を求めて、化学工学やコミュニケーションデザインなどの勉強を始めましたが、どれもしっくりこず、自分の将来のビジョンがはっきりしない状況が続きました。
(14歳のウェスリー少年)
自分の将来を思いあぐねている14歳の時、転機が訪れました。
今までずっとジムに通いたいと思っていたウェスリーでしたが、年齢制限があり、入会できませんでした。
しかし、14歳になったことでそれが可能になったのです。
彼は誕生日になったその日にジムに入会し、トレーニングを開始しました。
幸運なことに父親はトレーニング愛好家だったため、全身のトレーニングを一から十まで教えてくれました。
最初は有酸素運動から入り、その後マシーントレーニングに移行し、慣れてきた頃にフリーウェイトに挑戦する流れでした。
ウェスリーは吸収スピードが早く、教えられたことをすぐに実践できていました。
ウェスリーの呑み込みが早いからか、ベンチプレス200kgを余裕で挙げる父親の遺伝子のおかげか、彼は瞬く間に成長していきました。
(15歳のウェスリー少年)
筋トレを継続したことで少しずつ体に変化が訪れ、気づいた時には筋トレの虜になっていました。
当時体操競技をやっていたこともプラスに働き、彼は高校生活の間で素晴らしい成長を遂げました。
(18歳のウェスリー青年)
上の写真がトレーニングを始めて約5年半の体です。
高校生とは思えない素晴らしい肉体ですが、当時はPFCバランスのことなど考えもせず、ただ好きな食べ物を好きなだけ食べていただけでした。
それでも体質的に体脂肪率が付きづらく、常にある程度絞れている状態を維持できていました。
ウェスリーが当時通っていたジムは田舎の小規模なジムでしたが、彼はもっとレベルの高い環境を求めて、高校卒業後の引っ越しの際に、さらに設備が整ったジムに入会することにしました。
それが結果的にいい判断になりました。
そのジムにはボディビル大会に出場している会員も多く、そのうちの一人が彼のことを大会に誘ってくれたのです。
「体めっちゃデカいから大会出た方がいいよ!」
その人は大会にも出場経験があり、なんと無償で大会まで食事やトレーニングの指導をしてくれると名乗り出てくれたのです。
しかし、当時はYoutubeでジェイ・カトラーvsロニー・コールマンの動画しか観たことがなかったため、大会に出る選手はあれくらいの筋肉量が必要だと勘違いしていました。
「俺あんなに筋肉ないですけど、大丈夫ですかね、、、?」
自信なさげに尋ねると笑われ、大丈夫だと励まされました。
安心したウェスリーは遂に大会へ出場することになりました。
彼が初めて出場した大会は2013年のFLEX CUPでした。
多くの選手は減量に苦戦しますが、もともと絞れていた彼にとって減量はそこまで大変ではありませんでした。
出場したカテゴリーはジュニア部門でしたが、彼は難なく優勝し、さらにはオーバーオール優勝まで果たし、完璧な形でボディビルキャリアをスタートさせることができたのです。
「俺には才能があるかもしれない!」
輝かしい功績とともに彼のボディビル人生は始まりました。
IFBB PROになるまで
自信をつけたウェスリーはさらに翌年同大会に出場し、またもやジュニア部門優勝、オーバーオール優勝を飾ったのです。
この投稿をInstagramで見る
そしてこの大会では彼が尊敬してやまないアーノルド・シュワルツェネッガーの象徴的なポーズをとりました。
この頃から自分がアーノルドと似た骨格をしていることを自覚しており、ウェスリーにとって彼の体が理想形そのものでした。
何度もアーノルドのポージングをスロー再生して、細かい分析を重ね、納得がいくまで練習を続けました。
その成果が出たことで優勝という結果につながったことは間違いありません。
また、彼はこの大会でオランダが誇るレジェンドと初めて接触しました。
皆さんご存じベリー・デ・メイ(Berry de Mey)です。
この投稿をInstagramで見る
1988年のミスターオリンピアではリー・ヘイニー、リッチ・ギャスパリに続き3位という輝かしい成績を収めています。
この投稿をInstagramで見る
ベリーからは
「君がステージに出るまでは退屈だったけど、君を見た瞬間に大会を見るのが急に楽しくなったよ」
という最高の褒め言葉をもらい、ボディビルへのモチベーションが一気に高まりました。
同年にはIronman CupとJuliette Bergmann Grand Prixにも出場し、そこでも優勝と準優勝という好成績を収めました。
しかし、Juliette Bergmann Grand Prixを最後に、そこから約2年間彼はバルクアップに専念するために大会には出場しませんでした。
今まで適当だった食事も改善し、トレーニングの質も圧倒的に向上させました。
そして、カムバックした2016年。
彼はバルクアップを成功させ、自身初めての国際大会となるアーノルドクラシックヨーロッパに出場しました。
この投稿をInstagramで見る
結果は28人中5位でした。
もちろん優勝を目指しての挑戦でしたが、自分が求めるボディビルの理想形に近いものをアーノルドクラシックという権威ある大会で見せられたことを誇りに思っていました。
そして2016年はクラシックフィージークというカテゴリーが正式に始まった年でもあります。
しかし、当時クラシックフィジークの大会の多くはアメリカのNPCで開催されており、ヨーロッパでは開催されていませんでした。
アメリカまで行きたいと思いつつも、渡航費のことやコンディションへの不安が大きく、なかなか踏み出せずにいる状況でした。
そのため、ウェスリーは2016年から2017年まではそのままボディビルカテゴリーに出場し続けていました。
もちろんその間もバルクだけにこだわるのではなく、自分の美しさを追求し続けていました。
待ち続けて3年。
2018年頃にようやくヨーロッパでもクラシックフィジークの大会が盛んに開催されるようになりました。
ウェスリーはクラシックフィジーカーとして初めて出場する大会を、イギリスで開催されるRoyal London Proにしました。
Royal London ProはIFBB PROカードが掛かった大きな大会で、彼はこの大会で確実にプロになることを目標に準備を進めました。
しかし、その大会は体重制限が今よりも厳しく、脂肪をいくら削っても体重がオーバーしてしまうため、彼は筋肉も数キロ落とさなければいけない状況でした。
困難な状況でしたが、それまでの大会までの減量の経験が生かされ、何とか体重制限はクリアすることができました。
迎えた大会当日。
この投稿をInstagramで見る
他を寄せ付けない圧倒的なクラシック感をステージ上で見せ、彼は見事に大会で優勝し、念願のIFBB PROになることができたのです。
人生初めてのクラシックフィジークの大会での優勝。
それは今まで自分が追い求めてきたものが間違っていなかったということの証明であり、彼は自分の成し遂げたことを誇りに思いました。
しかし、ここからが本番です。
彼のIFBB PROのキャリアはアマチュア時代ほど甘くはありませんでした。
IFBB PROとしての活躍
IFBB PROになったウェスリーは2018年遂にボディビルの本拠地であるアメリカの大会に出場することにしました。
彼が出場したのはシカゴプロでした。
シカゴプロは著名な大会で、有名な選手が出ることも珍しくありません。
彼はその大会で名を揚げ、クラシックフィジーク界に自分の存在感をアピールする計画を立てていました。
初めてのアメリカでの大会、初めてのIFBB PROの大会。
今までとは比較にならないほどの緊張感の中、彼は大会に臨みました。
この投稿をInstagramで見る
ウェスリーは初戦にして、なんと初優勝を飾ることができたのです。
ステージ上ではゴールデンエラの選手たちをそのまま体現したような美しい体でした。
しかし、正直なところ写真や動画で見る限りではコンディションが甘く、プレジャッジの時点ではカラーリングもかなり薄かったように見受けられます。
大会後にもボディビルファンからはそのような批判が多く、彼の初勝利は「恵まれた骨格を高く評価されただけ」という印象がありました。
何はともあれミスターオリンピアへの出場権を手にしたのには変わりありません。
彼はそこからオリンピアまでの2ヶ月間でできる限りのことを尽くしました。
そして迎えた初めてのオリンピア。
この投稿をInstagramで見る
結果は最下位タイの16位でした。
シカゴプロからコンディションを改善することができず、同じような状態で大会に臨んでしまい、結果を残すことができませんでした。
ステージ上でのポージングは楽しむことができましたが、悔しい気持ちがあったのも事実です。
彼は大会の映像を見返し、何が自分に必要なのか分析しました。
分析結果として
・体重制限まで筋肉量を増やすこと
・コンディションをもっと改善すること
この2点が彼の改善点として浮かび上がりました。
2018年のオリンピアの時点では体重制限まで少し余裕があり、筋肉量を増やす余地がありました。
そのため、2019年は今までで最長のオフシーズンを設け、上位の選手たちと張り合えるくらいの筋肉量まで増やすことにしました。
もちろんコンディションは必要不可欠な要素なので改善しなくてはなりません。
しかし、その後も思うような結果が出ずに、苦しい期間が続きました。
2018年のオリンピア以降の主な戦績です。
2019 ルーマニアプロ 1位
2020 ミスターオリンピア 11位
2021 ポルトガルプロ 3位
2021 ポーランドプロ 1位
2021 ミスターオリンピア 11位
2022 アーノルドクラシックUK 3位
2022 ヤマモトカップ 1位
2019年はアーノルドクラシック以降にオフシーズンを設けていたため、オリンピアへの出場はできませんでした。
しかし、2020年、2021年はともにオリンピアへ出場し、いずれも11位という結果に終わりました。
この投稿をInstagramで見る
上の写真は2020年のオリンピアの写真です。
クラシックフィジークが発足した当初トランクスはかなり大きかったのですが、年々小さくなっており、2018年にはボディビルパンツとほとんど変わらないサイズになっていました。
そんな中、ウェスリーはゴールデンエラの選手たちへのリスペクトを込めて、当時の選手たちと同じサイズのトランクスを穿いてステージに立ちました。
その結果、トランクスが悪目立ちしてしまい、かえって悪い印象を与えてしまったのです。
さらに、大会前のインスタグラムではコンディションの調子がかなり良さそうに見える写真の載せていたため、ファンやジャッジからの期待が高まっていました。
しかし、当日彼が見せたコンディションは写真ほどのものではなく、期待させてしまった分落胆が大きくなってしまったのです。
現代だからこそ起きる事象ですが、そういった理由が重なり11位に終わりました。
しかし、2018年よりも明らかに筋肉量は増えており、課題は一つ改善することに成功しました。
そして2021年のオリンピア。
ウェスリーはポーランドプロで優勝し、2年連続でオリンピアへ出場することができました。
この投稿をInstagramで見る
前年はコンディションが課題でしたが、この大会では目に見えて改善されているのが確認できました。
まだトップレベルではないものの、おそらく2021年までのキャリアの中で最も絞れていると思います。
数字としてもそれが表れており、体重制限まで4.5kgも余裕がある状態でした。
しかし、2021年は絞りすぎた結果、フルネス(筋肉の張り)が失われてしまい、エネルギーが感じられないような仕上がりになってしまいました。
フルネス、コンディションを両立させることができず、この年も11位に終わりました。
そして2022年。
この投稿をInstagramで見る
ウェスリーは10月に開催されたYamamoto France Proで見事優勝し、2022年のオリンピアへの切符を手にしました。
この大会では昨年のオリンピアよりもサイズアップし、コンディションもいい状態だったので、12月は期待できそうです。
今年は10位以内に入る事ができるのか注目ですね!
終わりに
以上がウェスリー・ヴィサーズの人生についての簡単な紹介になります。
アマチュア時代からアーノルドと比較され、ずっとその背中を追い続けてきました。
しかし、ウェスリーはアーノルドをロールモデルとしては考えていません。
彼は決してアーノルドのコピーになりたいのではなく、“Wesley Vissers”としてボディビル界にその名を刻みたいと思っています。
そのためにはオリンピアでの優勝は必要不可欠です。
2020年と2021年は11位に終わりました。
10位以内がファイナルに残れるため、11位という結果は最も悔しい順位と言っても過言ではありません。
2022年はファイナルに進むことができるのか。
そして、優勝に一歩でも近づくことができるのか。
彼の躍進に期待です。
引用元:
Access Denied403 Forbiddenウェスリーのインスタグラム↓
https://www.instagram.com/wesleyvissers/