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皆さんこんにちは。
第22回のStory of Buildersはサディーク・ハゾビック(Sadik Hazovic)選手です。
メンズフィジーク黎明期からカテゴリーのアイコン的存在の一人として最前線で活躍していた彼ですが、2016年にはクラシックフィジークに転向し、そちらでも素晴らしい成績を収めています。
そして2022年。
メンズフィジークに再び帰ってきたサディークはピッツバーグプロで優勝し、2022年のオリンピアへの出場権を手にしました。
これまでのキャリアを振り返ると、どちらのカテゴリーでもトップ3に入る実力はあるものの、あと一歩手が届かず、未だにオリンピアのタイトルを獲得したことはありません。
今ではインスタグラムのフォロワーが400万人を超える超有名選手になったサディークですが、彼が続けてきたことは至ってシンプルなことでした。
目次
基本プロフィール
身長:約180cm
体重:約95kg(大会時)
国籍:アメリカ合衆国
生年月日:1987年6月8日
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生まれ~筋トレを始めるまで
サディーク坊やは1987年6月8日アメリカはニューヨーク州クイーンズ区で誕生しました。
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サディークが誕生してから間もなく、家族は同じくニューヨークのロングアイランドに引っ越し、その後はこの地で育ちました。
家族は父親、母親、兄、サディークの4人兄弟で、比較的裕福な家庭でした。
父親は不動産業を営んでおり、ニューヨークにいくつか土地を持っている地主でした。
両親はサディークが生まれる前にヨーロッパのモンテネグロからニューヨークに移住してきており、サディークは彼らのモンテネグロとアルバニアの血を受け継ぎました。
そのため家庭での会話はボスニア語だったため、サディークの第一言語はボスニア語になり、幼い頃は英語を習得するのに一苦労したそうです。
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小学校に通い始めたサディークでしたが、彼にとって小学校での生活は決して楽しいものではありませんでした。
学校から帰るスクールバスの中では、いじめっ子がサディークの顔の上に乗って押しつぶされ、髪を引っ張られて振り回されることが当たり前のように起きていました。
時には怪我を負うほどの理不尽な暴力を受け、学校に行くのがつらい毎日が続いていました。
いじめっ子たちはサディークよりも体が一回り大きく、彼にはそれに抵抗できるほどの力が当時はありませんでした。
また、父親はサディークが8歳の頃に家を出て、そこからは母親が女手一つで育ててくれました。
子供というのは親の背中を見て育ちます。
父親がいなかったサディークは、男の生き様がどういうものか分からないまま育っていました。
そんな中、テレビを点けると彼の目に映ったのはアーノルド・シュワルツェネッガーや、シルベスター・スタローン、そしてWWEで戦う男たちの姿でした。
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屈強な体をした男たちが大量の汗を垂らしながら、懸命に戦う姿はサディークにとってセンセーショナルでした。
「これが男っていうものなんだ!」
「俺もこんな風に強くなりたい!」
彼の心の中には理想の男性像が出来上がっていました。
しかし、学生時代は何もスポーツを経験していなかったため、体は貧弱なままでした。
高校生の時には身長が180cm近くありながらも、体重は58kgほどしかありませんでした。
自分の理想とはかけ離れた体で、鏡を見るたびに悲しくなっていました。
「細い体にはもううんざりだ」
「俺は変わるんだ!」
そう決めたサディークは父親と兄が使っていた約7kgのダンベルを使い、バイセップカールを始めました。
しかし、当時の彼からすれば7kgですら50kgに感じるほど重く、根気のいるトレーニングでした。
それでも少しずつ体は変わってきているような感覚はありました。
そんな中小さな転機が訪れます。
近所に住んでいた女の子がフロリダ州に引っ越すため、兄と一緒に引っ越しの手伝いをすることになりました。
しかし、誘ってきた兄は早々に飽きてしまい、ちゃんと手伝っていませんでした。
一方、サディークはちゃんと最後まで引っ越しの手伝いを続けていました。
すると、女の子の方から
「手伝ってくれてありがとう。手伝ってくれたお礼に200ドルあげるから、サディークとお兄さんで100ドルずつ分けて!」
と謝礼金を渡してきてくれたのです。
ここでサディークは考えました。
(これ兄ちゃんに言わなかったら絶対ばれないよな、、、。あの人ちゃんと手伝ってなかったし、俺が全部貰っても問題ないよね、、、。)
サディークはその200ドルを全て自分のポケットに詰め込み、兄には渡しませんでしたが、思惑通り兄にばれることはありませんでした。
サディークはその200ドルを使って、ベンチプレス台と13kgのダンベルを新調し、トレーニングの強度を上げることに成功しました。
すぐには大きな変化は訪れませんでしたが、着実に少しずつ成長している実感はありました。
大会に出場するまで
サディークは家の機材でのトレーニングに限界を感じ始め、ついにジムに入会することにしました。
本当は近所のパワーハウスジムに通いたいと思っていましたが、Youtubeでカイ・グリーンのトレーニング動画を観ていたところ、後ろにパワーハウスジムのロゴが映っていることに気づき、デカい人じゃないと入会できないと勘違いしていたのです。
もちろんそんなことはないのですが、彼は近所にある小さめの“Synergy Gym”というジムに入会しました。
今までは一人で黙々とトレーニングしていたため、彼はジムの設備の豊富さと会員たちの筋肉に感動しました。
「どうやったらあんなにデカくなれるんだろう?」
シャイだったサディークはなかなか話しかける勇気がなく、観察して真似することを繰り返していました。
もし上腕二頭筋が発達している会員がいれば、その人のトレーニングを観察し、その人が使っていたマシーンが空いたら同じように動く練習をしていました。
他の部位も同じように他の会員の動きを真似して、トレーニングを習得していきました。
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そうこうしているうちに彼の筋肉は凄まじい成長を遂げていきました。
以前よりも体が大きくなったことにより、それに比例して大きな自信がついてきました。
「これ位の体になればパワーハウスジムに行けるかもしれない、、、!」
そう思い始めた矢先、当時のガールフレンドからの誕生日プレゼントで「パワーハウスジム1か月無料券」を貰ったのです。
「うおおおおおお!」
興奮冷めやらぬサディークは早速その券を使って、パワーハウスジムに向かいました。
ジムの扉を開くと、今まで通っていたジムとは全く別物の光景が広がっていました。
そこには筋肉の大きさが別次元の人間がたくさんいたのです。
その中でもひと際目を引く怪物がいました。
実はその人物こそオリンピアで2位になった経験もあるIFBB PROのスター選手ビクター・マルチネスだったのです。
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最初ビクターの体を見たサディークは衝撃のあまり言葉を失いました。
その衝撃の後、ジワジワと「かっこいい」という感情が湧いてきて、いつか彼のような肉体を手に入れたいと思うようになりました。
無料券を1か月フルで使いきったサディークは、その後パワーハウスジムに1年分の会費を払い、ジムを変更することにしました。
ジムの環境を変えたことにより、トレーニングへのモチベーションも上がり、彼の体はさらに急成長していきました。
そんなある日のことです。
彼がジムでバイセップカールをしていると、後ろからガタイがいいおじさんが話しかけてきました。
「兄ちゃんめっちゃいい体してるね!俺たちの団体の大会に出るべきだよ!」
そう話しかけてきたのは、なんと現在IFBB PROのヘッドジャッジを務めるスティーブ・ワインバーガー氏だったのです。
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当時のサディークはただ単に鍛えることが好きでジムに通っていただけで、IFBB PROというものがどういう団体なのかすらよく知りませんでした。
スティーブはサディークにボディビルについて丁寧に教えてくれ、新しくメンズフィジークというカテゴリーが始まるという情報も教えてくれました。
しかし、スティーブの必死の口説きでもサディークの心は動かず、彼は大会に出ようとは思いませんでした。
同様にサプリメントストアでお客さんからも大会への出場を何度も勧められましたが、彼は一向に首を縦に振る事はありませんでした。
そんなある日ガールフレンドから
「せっかくいい体してるんだから、大会に出てみたら?」
と言われました。
女性からのお願いは断れないタチであるサディークは”No”とは言えず、ついに大会に出ることを決意しました。
スティーブの必死の説得よりも、ガールフレンドのたった一言の方が威力が大きかったようですね。
彼が初めて出場したのは2011年に開催されたBrooklyn NPC Grand Prixでした。
もちろん初めての大会は右も左も分かりません。
そこでサディークは減量の様子や、ポージング練習の動画をYoutubeに投稿し続けました。
すると、コメントでアドバイスをくれる人が現れたり、応援してくれるファンが少しずつ増え始めました。
情報を発信することで誰かのためになるという感覚が彼にとっては何よりも嬉しいことでした。
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結局大会結果は2位で終わり、自分のポテンシャルの高さをそこで初めて自覚しました。
「この競技なら世界一になれるかもしれない!」
大会からの帰り道、彼は未来に胸を膨らませていました。
IFBB PROとしての活躍
初めての大会の後もサディークはコンスタントに大会に出続けましたが、彼がIFBB PROになるまではとんとん拍子でした。
以下が初大会以降のアマチュア時代の成績です。
2012 NPC Metropolitan Championships 1位
2012 NPC Metropolitan Championships 1位
2012 NPC Junior USA Championships 2位
2012 NPC Junior National Championships 1位
彼は2012年のNPC Junior National Championshipsで優勝し、IFBB PROカードを手に入れました。
ただ、彼がプロになった時点では、メンズフィジークの歴史は始まったばかりで、ボディビルほど明確な審査基準はありませんでした。
それでも彼が勝ち続けてきたのは、ステージ上での圧倒的な華やかさがあったからに他なりません。
どの選手も同じような体をしていましたが、スター性は誰もが持ち合わせているモノではありません。
サディークは他の選手たちとは一線を画す才能があり、スターダムを順調に上り詰めていきました。
以下が2015年までの主なキャリアです。
2012 Greater Gulf States Pro 2位
2012 Orange County Muscle Classic Pro 2位
2012 Valenti Gold Cup Pro 1位
2012 Houston Pro 4位
2013 Europa Show of Champions 2位
2013 New York Pro 1位
2013 Olympia Weekend 4位
2014 New York Pro 2位
2014 PBW Tampa Pro 1位
2014 Olympia Weekend 2位
2015 Arnold Sports Festival 1位
2015 Olympia weekend 2位
彼は2013年、地元ニューヨークプロで優勝したことで、初めてミスターオリンピアの舞台に立ちました。
結果は4位でした。
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今までも大会で4位になったことはありましたが、その比にならない程の悔しさがこみ上げてきました。
「もっとやれたはずなのに」
オリンピアまでの期間で全く無駄な時間がなかったかと聞かれると、サディークは胸を張って”Yes”と答えられませんでした。
当時は父親の不動産業の手伝いもしており、その家業を引き継げば、その後の生活は一生安泰でした。
父親の仕事を継いで安定した道を選ぶのか、それともより険しい道となるメンズフィジークを選ぶのか。
彼に迷いはありませんでした。
「すべてをメンズフィジークに捧げる」
彼は2013年のオリンピアでの雪辱を糧に、そこから翌年のオリンピアへ向けて必要のない時間を削り、優勝というビジョンを掲げて1年間過ごしました。
今まで遊んでいた友達は自分の仕事を理解してくれる人たちだけが数人残り、彼女との付き合いも必要最低限にしました。
そして、毎日ロボットのように決められた時間に食事、睡眠、トレーニングを継続し、ただオリンピアだけを見据えていました。
のちにライバルになるジェレミーに対しては
「君の体は本当にかっこいいよ。きっと来年は僕と君で王座を競い合うことになるね。」
というメッセージを送り、自身のモチベーションを高めていきました。
そして迎えた2014年のミスターオリンピア。
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サディークはジェレミーに敗れ、惜しくも2位で大会を終えました。
悔しいのは間違いないですが、彼は前年とはまた違った悔しさがありました。
なぜなら「やれることをやり切った」と胸を張って言えるからです。
結果こそ付いてきませんでしたが、全力を尽くしたという事実が彼にとっては何よりも重要な事でした。
「同じようにもう一年頑張れば優勝に手が届くかもしれない!」
彼はオリンピアの翌日には「オリンピアまで364日」とインスタグラムに投稿しており、すでに来年自分が優勝するビジョンを思い描いていました。
オリンピアの敗北から今まで以上の鍛錬を積み重ね、毎日オリンピアでの悔しさを噛み締めながら一日も無駄にすることなく過ごしました。
2015年3月に開催されたアーノルドクラシックでは見事優勝し、オリンピアへの弾みをつけました。
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「今年のサディークはやってくれるんじゃないか!」
アーノルドクラシックでの優勝を受け、多くのボディビルファンがサディークとジェレミーの直接対決を待ち望んでいました。
そして、2015年のオリンピア。
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彼はまたもやジェレミーに敗れ、2位で大会を終えました。
前年に増して、トレーニングや食事、睡眠など細かいところまで意識して過ごしていたのに、それでも優勝には手が届きませんでした。
大会後、彼は大きな喪失感を覚えました。
「これだけやってもジェレミーには勝てないのか」
決して優勝を諦めたわけではありませんが、彼は前年の敗北後とは違う感情を抱きました。
敗北から半年間、彼は特にオリンピアを意識して過ごすわけでもなく、今まで通りのストイックな生活を続けていました。
そんなある日、新しくクラシックフィジークというカテゴリーが始まるという噂を耳にしました。
このカテゴリーが始まる前から、サディークは70年代のボディビルダー達と比較されることが多く、自分の中でも意識していました。
目標もなく過ごす毎日に舞い込んできたチャンス。
彼はそこからクラシックフィジークへ転向することを決意しました。
コーチに
「20ポンド体重を増やすことは可能ですか?」
と相談し、そこから血の滲むような毎日を過ごし、彼は約半年間で純粋な筋肉量を25ポンド(約10kg)増やすことに成功しました。
時には、前々から比較されることが多かったフランク・ゼーン(Frank Zane)の元へ行き、トレーニングの指導をお願いすることもありました。
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説明不要だとは思いますが、フランク・ゼーンは1977年から1979年のミスターオリンピアで3連覇しているレジェンドです。
まるで絵画のような美しい肉体から繰り出される滑らかなポージングは誰もが見とれました。
彼はサディークにトレーニングや、ポージングのことだけでなく、人生についても教えてくれました。
実はフランクが初めてオリンピアで優勝した1977年、彼はすでに37歳だったのです。
優勝を急ぐサディークに対して、
「まだまだ若いんだから、そんなに焦らなくても大丈夫」
とアドバイスをくれ、サディークはその言葉に強く励まされました。
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2016年、クラシックフィジークがオリンピアにも組み込まれることになりましたが、サディークは特別招待枠として大会にエントリーしました。
初めてのクラシックフィジークがオリンピアの舞台ということもあり、緊張感はありましたが、自分が表現できるものすべてを出し切りました。
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結果は3位でした。
半年前までは自分の目標が分からなくなり、投げやりになっていました。
そんな中、新しい目標を見つけ、必死にもがいて3位という結果を手に入れました。
前年の2位とはまた違う達成感を感じ、2014年と同じように彼はまた翌年に向けてすぐに動き始めました。
サディークは翌年さらに筋肉量を増やし、コンディション、ポージングも改善し、オリンピアへ挑みました。
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しかし、他の選手たちはサディーク以上にバルクアップした体を大会で見せ、その結果彼は7位で大会を終えました。
7位は彼の人生の中で最も低い順位でした。
その時の感情は想像を絶する程辛いものでした。
オリンピアでの結果を受け、彼はそこから新しいゴールを探し始めました。
選手としての目標を見つけられず、悶々と過ごす日々が続いていました。
そして2年後の2019年。
彼はアーノルドクラシックでメンズフィジークに復帰しました。
彼が最後に出場した2015年の時とは大きく雰囲気が変わり、選手の筋肉量の水準もかなり上がっていました。
それでもかつての世界2位として、持っていた全てを出し尽くしました。
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結果は6位でしたが、自分が輝ける場所がここであると改めて認識することができました。
それからまた大会に出ることはなくなりました。
かなりの期間が空いたことで、サディークは選手として引退してしまったんじゃないかと誰もが心配していました。
そんな中、最後に出場した大会から約3年後の2022年。
彼は一度クラシックフィジークに出場するという表明をしましたが、それを撤回し、ピッツバーグプロでメンズフィジークに再復帰しました。
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サディークがステージ上で見せた圧倒的な華やかさは時間がどれだけ経っても健在でした。
ピッツバーグプロで彼は見事に優勝し、2022年のオリンピアへの切符を手に入れました。
久々に感じる優勝の味。
これまで積み重ねてきた挫折が良いスパイスとなり、優勝の喜びをより一層強く引き立てていました。
2022年、ついにサディークがオリンピアに帰ってきます。
今年はメンズフィジークだけで70名近くの選手が各国からエントリーし、厳しい戦いになることが予想されています。
ビッグネームであるサディークが埋もれることはないと思いますが、現在のメンズフィジークに対してどこまで戦えるかとても楽しみです。
元世界2位の実力を舞台上でいかんなく発揮してほしいですね。
終わりに
以上がサディーク・ハゾビックの人生についての簡単な説明になります。
体が細く、自分に自信がなかった子供時代。
そんな自分が嫌でいつも変わりたいと思っていました。
大嫌いな自分を少しでも変えるためにトレーニングを始め、少しずつ体が成長し、それと同時に自信も大きくなっていきました。
その後メンズフィジークに出会い、努力を続けた結果、いつしかオリンピアという最高の舞台で最高の選手たちと肩を並べるほどの実力になっていました。
“My greatest weakness is not being able to take a day off. I love the gym too much. I am in the gym a minimum of 365 days a year. Not even injuries can keep me from exercising and weight training.”
「俺の最大の弱点は休むことができないこと。とにかくジムが好きすぎるんだ。少なくとも365日はジムにいるね。どこか怪我をしたとしても、トレーニングは続けられるよ。」
彼がトレーニングを始めてからずっと続けてきたこと。
それはトレーニングです。
「何を言ってるんだお前は?」と思われるかもしれませんが、彼は特に変わったことはしていません。ただトレーニングを続けていただけなのです。
もちろんトレーニングや、選手としてのキャリアの中で自身の課題を次々に見つけ、それを解決していく作業を怠る事はありませんでした。
加えて、食事や睡眠なども手を抜くことはありませんでした。
そうやって一歩ずつ着実に歩みを進めてきた結果、彼は世界で最高峰の選手まで上り詰めたのです。
時間をかけて作り上げてきたものだからこそ価値があり、成功を急ぐと大きなものは手に入りません。
サディークのように小さな積み重ねを続け、自分を成功へ導いていきましょう。
引用元:
Sadik Hadzovic Profile — Training, Diet, Height, Weight, BiographySadik Hadzovic is an IFBB Pro League Men's Physique bodybuilder. He is one of the most prominent athletes in the division and won theサディークのインスタグラム↓
https://www.instagram.com/sadikhadzovic/