【Story of Builders】ハディ・チョーパン【第25回】

選手紹介

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皆さんこんにちは。

第25回のStory of Buildersはハディ・チョーパン(Hadi Choopan)選手です。

無数にいるIFBB PROの中でも彼のコンディションの良さは群を抜いていることで有名です。

私が彼を初めて見たのは2019年のバンクーバープロでした。

こちらがその時の映像です。(No.4がハディ)

結局この大会はハディが優勝したのですが、この映像を見た時の衝撃は今でも忘れられません。

「なんだこの絞りは!?」

ファーストコールで呼ばれた選手たちはオリンピアに出場経験があったり、この大会の数年後に活躍することになる有力な選手たちばかりです。

その中でも彼の絞りは次元が違いました。

体のバランスも非常に良く、バブルガットのような症状も一切見られません。

そんな完璧に近い体を持つハディ・チョーパンはどのような人生を歩んできたのでしょうか。

あまり詳しい情報がネットには載っておらず、今までほど詳しくは調べられませんでした。

しかし、できる限りのことは尽くしたのでぜひ最後までご覧ください。

では、早速彼の生い立ちから現在に至るまでの軌跡を見ていきましょう。

 

目次

基本プロフィール

身長:約168cm

体重:約105kg(大会時)

国籍:イラン

生年月日:1987年9月26日

 

生まれ~ボディビルダーになるまで

ハディ坊やは1987年9月26日、イランはファールス州セピダン市アブノ村で誕生しました。

7人家族で、家庭は貧しく、裕福さとはかけ離れた生活を送っていました。

そのため、幼い頃から食事もろくに食べることもできず、とても痩せ細っていました。

その日暮らしの生活で、同い年の子供たちが遊んでいるかたわら、ハディは路上で物品を売ってお金にしていました。

また、兄が左官職人として働いていたため、その手伝いなどをして子供ながらに家族のためにお金を稼いでいました。

「僕も遊びたい、、、」

辛い日々が続く幼少期。

しかし、ハディにはそんな辛い日常を忘れさせてくれる大好きな時間がありました。

それは映画鑑賞の時間です。

映画の主人公に自分を重ね合わせ、成功する未来を常に思い描いていました。

数ある映画の中でも彼が特に好きだった俳優はブルース・リーアーノルド・シュワルツェネッガーでした。

 

 

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肉体美と純粋な強さを持ち合わせた彼らの姿は、子供の頃のハディにとってヒーローそのものでした。

「いつかあんなカッコイイ大人になりたい!!」

ハディは彼らの肉体を目指し、13歳の時から体を鍛え始めました。

トレーニングを始めたての頃はまだまだ体が細く、サマになっていなかったため、家族や友達にからかわれていました。

「そんな細い体でボディビルダーになるなんて草」

「細い体でポーズ取ると面白いなw」

ハディは至って真面目にポーズをしていましたが、周りからは馬鹿にされていました。

それでも自分の憧れの存在に近づくために自分を取り巻く環境に言い訳をすることなく己の肉体を鍛え続けました。

 

そしてある程度成果が形になってきた2003年遂に初めて大会に出ました。

常々大会に出てボディビルダーになりたいと思っていたハディからすると夢のような舞台で、あっという間に心を奪われました。

それからも大会に出続け、大会ごとに自身の体の完成度を地道に上げていきました。


(20歳前後のハディ)

「プロのボディビルダーになる」

ハディが見据えていたのはそのビジョンだけでした。

大会の詳細は不明ですが、彼は2003年から2011年までファールス州と首都テヘラン州の地方大会に9年間出場し、合計で15個の金メダルを獲得しています。

2008年からは全国規模の大会に出場し、金メダル2個銀メダル3個銅メダル1個という素晴らしい成績を収めています。

以下がその詳細です。

2008 Babol National Tournament 3位
2008 Saari National Tournament 2位
2009 Saari National Tournament 2位
2009 Rasht National Tournament 2位
2010 Saari National Tournament 1位
2011 Mashhad National Tournament 1位

大会に初出場した2003年時点ではハディはまだ16歳です。

他の同級生がメジャースポーツに打ち込んでいる中、彼は情報が発達していない中でもボディビルという競技に心を惹かれ、熱中していたのです。

若く、経済的余裕がない環境でも自分ができる最善を尽くし、戦い続けたハディはいつしかイラン随一のボディビルダーへと成長していました。

果敢に戦うハディの姿は彼の二つ名“The Persian wolf”(ペルシャの狼)そのものでした。

ちなみにこの名前はプロになる前からハディが自身で付けて、愛用しているようです。

 

IFBB PROになるまで

彼の躍進に目を付けたのがイランのナショナルチームでした。

彼らは優秀なボディビル選手を招集して強化し、イランのボディビルのレベルを引き上げようとしていました。

ハディの活躍を見て、国の代表として戦ってもらうのにふさわしいと判断し、彼は2012年以降はイランのナショナルチームの一員として国際大会に出場していきました。

ハディのインスタグラムやインタビューの動画を観ると感じますが、彼のイランへの愛国心はすさまじく強いです。

彼は常にイランのファンやイランからのサポートに感謝しています。

ハディがオリンピアで3位になり、帰国した時はお祭り騒ぎでイランの要人たちが彼が残した成績を国を挙げて盛大に祝っていました。

そういった国への忠誠心はナショナルチームとして活動した期間に培われたものだと思われます。

以下が、2012年から2015年までの彼の成績です。

2012 WBPF World Bodybuilding Championships 2位
2013 WBPF Asia Championships 1位/オーバーオール
2013 WBPF World Bodybuilding Championships 1位
2014 WBPF World Bodybuilding Championships 1位
2015 WBPF World Bodybuilding Championships 1位

彼が出場していたのはWBPFという団体で、IFBBのアジア部門であったABBFが前身になっています。

ハディは2013年から2015年までは3年連続で階級優勝を果たし、圧倒的な王者として君臨していました。

そんな彼には野望がありました。

「IFBB PROになりたい」

WBPFという団体で1位になり続けたことで、もっとさらにレベルの高い団体で戦いたいという気持ちが強くなってきていました。

本当の意味で「世界一のボディビルダー」と名乗れるのは、ミスターオリンピアで優勝した選手です。

彼はその称号を目指し、2015年の大会を最後に出場する団体を変えることを決意し、プロカードを目指し始めました。

 

彼がプロカード獲得を目指していたのは2016年のアマチュアオリンピアでした。

アマチュアオリンピアでは世界中から猛者が集い、数枚のプロカードをかけて熾烈な戦いを繰り広げます。

アマチュアオリンピアは最もレベルの高いアマチュア大会の一つと言えるでしょう。

そんな最高レベルの大会に臨むにあたって、彼は世界最高レベルのコーチを味方につけることにしました。

 

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ハディが就けたコーチとは世界一のコーチとして呼び声が高いハニー・ランボッドです。

彼はフィル・ヒースを筆頭に、ジェレミー・ブエンディアデレク・ランスフォードなど数々の選手をオリンピア優勝へ導いてきました。

実はハニー・ランボッドはイラン北部のマーザンダーラン州にルーツを持ち、英語訛りではありますが、ペルシア語も話せるそうです。

ハディは同じルーツを持つことに共鳴し、彼にコーチをお願いすることにしました。

今までとは何もかも次元の違う指導に彼は当初驚きましたが、彼の指示に従って2016年までトレーニングや食事などを徹底的にこだわりました。

 

そして2016年のアマチュアオリンピア。

ハディは見事に階級優勝オーバーオール優勝を果たし、IFBB PROカードを手にすることができたのです。

厳しい環境下でも「IFBB PROになる」という目標を失うことなく、ひたすらその目標に向けて戦い続けた結果でした。

そしてここからハディの快進撃が始まります。

 

IFBB PROとしての活躍

IFBB PROになった同年、ハディは早速大会に出場しました。

彼がまず出場したのはアラブ首長国連邦で開催されたシェルクラシックでした。

こちらがその時の映像です。

大会はローリー・ウィンクラーに惜しくも敗れ、2位という結果になりました。

しかし、初出場で2位は素晴らしい結果です。

自分の実力を認識したことで自信がついたハディはさらにサイズを上げるために長期間のオフシーズンを設け、バルクアップに専念しました。

 

そして、2017年9月。

彼はアジアグランプリに出場し、この大会をきっかけに脚光を浴びる存在になりました。


(Fitness Voltより引用)

結果から言うと彼は212ポンド以下級に出場し、2位で大会を終えました。

上の写真がその時のものですが、ハディの横に立っているのは当時212ポンド以下級で圧倒的王者として君臨していたフレックス・ルイスです。

画質が荒いですが、カーフ以外はハディが圧倒しているように見えます。

大会後には、審査結果に対して不信感を抱くファンからの批判が殺到し、問題になりました。

「ハディが明らかに勝っているじゃないか!」

「フレックスは今までの成績込みで評価されているとしか思えない」

フレックスに勝つことは叶いませんでしたが、ハディは絶対王者を追い詰めたことで注目を浴びる存在になりました。

また、この大会で3位になったホゼ・レイモンドと4位になったデイビッド・ヘンリーはオリンピアトップ5の常連として有名です。

それらの選手を破ったこということは事実であり、ハディのこれからの活動に注目が集まりました。

 

しかし、その後出場した2017年のサンマリノプロも2018年のドバイプロもどちらも2位という結果に終わりました。

プロになってから4回連続の2位です。

ハディはどのステージでも順位発表の時は悔しそうな表情を浮かべ、首をかしげていました。

正当な評価がもらえず不満があったのか、実力不足に悔しさが込み上げてきたのか、真相は分かりません。

あと一歩が遠く、なかなか手が届かないもどかしい状況が続いていました。

 

しかし、2018年7月。遂にその時が来ました。

 

 

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彼はポルトガルプロに出場し、ついに念願の優勝を飾ることができたのです。

4回連続2位という苦しい期間を乗り越え、遂に掴んだ優勝。

優勝後にコーチのハニー・ランボッドと撮影していた時の喜びに満ちた表情はとても印象的でした。

 

さらに同年9月、彼は2017年にフレックスに敗北したアジアグランプリに再出場し、2大会連続で優勝したのです。

この優勝を受けてボディビルファンは大いに盛り上がっていました。

「フレックス最後の年にハディが出場するぞ!」

「とんでもない逸材がオリンピアに出場する!!」

2018年はフレックス・ルイス最後の年だったため、212ポンド以下級が特に注目されていました。

 

しかし、ハディは悲劇に見舞われます。

2017年にドナルドトランプが発令した大統領令13769号が原因となり、イランからアメリカへの入国が難しくなってしまったのです。

それに対して、IFBB PRO上層部は政府に対して手紙を送ったり、弁護士を雇って何とか彼を入国させようと奔走してくれましたが、結局実現せず。

ハディとは全く関係がない政治的問題が原因となり、オリンピアへ出場することが叶わなかったのです。

苦しい期間を乗り越え、遂に掴んだ大舞台へのチャンス。

それも阻まれてしまい、またもや失意のどん底に落とされてしまいました。

 

しかし彼は諦めたわけではありませんでした。

 

「来年は状況が変わっているかもしれない!」

彼は先が見えない状況でも、今の自分にできることをやろうとまた前を向き始めました。

彼がやる事は一つでした。

「2019年のミスターオリンピアへの出場権を獲得すること」

これが彼にできる唯一のことでした。

 

そして2019年、冒頭にご覧いただいたバンクーバープロでハディは見事に優勝し、2019年のミスターオリンピアへの出場権を獲得することができたのです。

 

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この大会で彼は今まで出場していた212ポンド以下級ではなく、体重制限のないオープンディビジョンで出場していました。

実は2017年のサンマリノプロもオープンディビジョンに出場していたため、自分の実力が通用するということは分かっていました。

 

後は、2019年のミスターオリンピアに出場できるがどうかが問題になります。

大会前には今年もハディは出場できないのではないか、という憶測が飛び交っており、出場断念が懸念されていました。

ハディはただひたすら祈っていました。

「早くオリンピアの舞台に立ちたい」

「自分の実力を試したい」

彼の願いは届き、遂にオリンピアへ出場できるようになったのです。

 

ハディは余裕をもって渡米し、ハニー・ランボッドと合流してからは、来たる日に向けて万全の状態で準備を続けました。

そして、2019年のミスターオリンピア当日。

彼は持ち前の素晴らしいコンディションと完璧に近い均整の取れた体をステージ上で披露し、初出場でいきなり3位に入り込んだのです。

昨年果たせなかった雪辱を晴らし、遂に立った夢の舞台。

彼はポテンシャルをいかんなく発揮し、ミスターオリンピアの歴史に“Hadi Choopan”という名を刻み込みました。

 

そして、翌年の2020年のオリンピアでは4位2021年のオリンピアでは3位に入り、安定した成績を残しています。

残すはミスターオリンピアでの優勝、それだけです。

彼の上にいるのはビッグラミーブランドン・カリーの二人です。

相当なことがない限りハディがコンディションを大きく外すことは考えられません。

ハニー・ランボッドによると、今年ハディはさらにサイズが増しているそうなので、優勝できる可能性は大いにあると思います。

彼がどこまで戦えるのか。ワクワクが止まりませんね。

 

彼の耳について(番外編)

ハディ・チョーパンには聴覚障害があるのではないか、という噂があります。

調べてみたところ、生まれつき聴覚障害があるようで、さらに10代の頃にボクシングレスリングで怪我したことでさらに聴力が衰えたそうです。

聴力が衰えた結果、彼はステージ上でのポーズの指示をうまく聞き取れなくなってしまいました。

そのため、彼はポーズをとるときは周りの選手の動きを見ながらそれに合わせてポーズしています。

ハンディキャップを負ってもそれを感じさせない強い精神力が本当にかっこいいですね。

 

終わりに

以上がハディ・チョーパンの人生についての簡単な説明になります。

貧しい生活環境でも言い訳することなく自分の描いたビジョンを追い求めて、10代の時からできる限りのことを尽くしてきました。

その結果、アマチュア時代には素晴らしい成績を残し、瞬く間にIFBB PROになりました。

しかし、プロになってからは理不尽な理由でその努力が報われない時期もあり、唇を噛み締める日々が続きました。

それでも不屈の精神で戦い続け、今となっては世界で3本の指に入るほどの偉大なボディビルダーに成長しました。

彼が今まで続けてきたことは変わりません。

“Hard work”

それだけです。自分の限界を見定めることなく、常に全力で自分ができることをこなす。

そうやって彼は成長してきました。

恵まれた環境に身を置きながら、言い訳を続けて逃げることがいかにもったいない事なのか彼が身を持って教えてくれました。

私たちも彼のように今を全力で生きましょう。

引用元:

Hadi Choopan – Complete Profile: Height, Weight, Biography – Fitness Volt
Hadi Choopan is a very promising bodybuilder, out of Iran. This is the story of his life, and professional bodybuilding career.
https://www.fitbashim.ir/bodybuilding-and-fitness-champions-of-iran-and-the-world/hadi-chupan/
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ハディのインスタグラム↓
https://www.instagram.com/hadi_choopan/

 

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