【Story of Builders】ブレッシング・アウォディブ a.k.a. 神の粉【第12回】

選手紹介

引用元:https://www.instagram.com/p/CiP98RpuqT5/?utm_source=ig_web_copy_link

 

皆さん、こんにちは。

第12回のStory of Buildersはブレッシング・アウォディブ(Blessing Awodibu)選手です。

日本では「神の粉」の愛称で知られている彼ですが、海外では“The Boogieman”というあだ名で親しまれています。

もちろん、後ほどその名前の由来についても解説していきます。

今ではSNSで面白い動画をあげて、フォロワーたちを楽しませている彼ですが、昔は壮絶な過去を送っていました。

何もないところから努力を続け、全て自分でつかみ取ってきました。

SNSではお調子者の彼は、誰よりも謙虚で、誰よりも現実主義者です。

どのように挫折と向き合い、どのように乗り越えてきたのか、ブレッシングの成功までの道のりを辿っていきます。

(ブレッシングは子供時代の写真が少なかったので、代わりに動物と戯れている写真を挿入しています笑)

 

目次

基本プロフィール

身長:約178cm(5.10ft)

体重:約110kg(大会時)

国籍:ナイジェリア連邦共和国

生年月日:1991年9月20日

 

生まれ~高校卒業まで

ブレッシング坊やは1991年9月20日ナイジェリアで誕生しました。

父親は小さな村で農家として働いており、兄弟が多かったため、とても貧しい家庭で育ちました。

家には電気という概念はなく、靴は誰も履いておらず、便利さからはかけ離れた環境でした。

その日暮らしの生活で、5歳の頃には自分たちでジャングルの中に行き、食料を調達するような生活が当たり前でした。

 

そして、彼が9歳になる頃に転機が訪れます。

両親は彼と兄弟たちにより良い教育を受けさせるためにアイルランドに密入国させることを決意します。

偽名を使い、偽のパスポートを作り、アイルランドの見知らぬ誰かの元へ彼らを送り出しました。

 

無事に入国できたものの、当然英語も話せず、全く知らない土地に彼ら兄弟は困惑します。

しかし、その後アイルランド政府の助けがあり、彼らは既にアイルランドに住んでいた長男の元へ引き渡され、長男が保護者として育ててくれることになりました。

 

ここからアイルランドの生活が始まるわけですが、最初は順風満帆と言える生活ではありませんでした。

当時住んでいた場所はアイルランドの片田舎で、アフリカ系の住民は自分たち以外におらず、道を歩くだけで奇異の目で見られる日々が続きました。

元々痩せ型だったことも影響して、学校に行けばイジメられ、蔑まれることが日常茶飯事でした。

ブレッシングは大人しい性格だったため、反抗的な態度をとる事はほとんどありませんでしたが、兄弟はイジメに反発して、学校で問題を起こし、何度も退学になっていました。

そして、その村にはもうこれ以上住めなくなってしまい、引っ越すことにします。

しかし、アウォディブにとってはアイルランドでの生活は楽園のように感じていました。

 

「ここには電気もあるし、お金があれば食料だって食べられる!何かをやろうと思って努力すれば手に入る可能性がある!」

 

ブレッシングはアイルランドの生活に希望を感じていました。

引っ越してからは、環境が変わったことで友達もでき、前よりも住みやすい状況になりました。

しかし、今後の保身のためにトレーニングルームに通い始めました。

 

その時こそが彼の人生のターニングポイントでした。

 

この時彼は14歳でした。

ブレッシングはハードゲイナーで脂肪が付きづらい体質でしたが、一日中食事を食べ、毎日のようにトレーニングをする生活をした結果、1、2年であっという間に見事なフィジークを手に入れました。

「努力すれば欲しいものが手に入る!」

彼の心の中は満足感で満たされていました。

 

そして時は進み、彼は高校生になりました。

もちろん筋トレは続けていましたが、彼は新しい目標を立てました。

それは医者になるという高い目標でした。

そもそも両親がブレッシングたち兄弟を送り出したのは、いつか彼らが立派になって村に帰ってきた時に村の役に立つ存在になってほしかったからでした。

ブレッシングは医者になり、病気で困っている村人たちを助けようと思ってました。

大学に入学するために大好きだった筋トレを一時的に辞め、毎日毎日机に向かい、試験に向けて勉強をひたすら頑張りました。

そして、素晴らしい試験の結果を引っ提げて、彼はアイルランドでも指折りの難関校であるリムリック大学に入学を申し込みました。

 

結果は不合格でした。

理由はブレッシングの試験の結果が悪かったからではありません。

彼がアイルランドの市民権を持っていなかったのが理由で入学できなかったのです。

 

心血を注いで勉強をしてきたのに、結局入学すらできなかったという事実に1週間涙が止まらず、悲しみに暮れました。

医者になって村の人たちを救うという夢が断たれ、今後の目標を失ったブレッシング。

保護者として育ててくれた兄はブレッシングに早く独り立ちしてほしいという思いがあり、その気持ちを汲んで、彼はパーソナルトレーナーになることを決めました。

 

パーソナルトレーナーからIFBBプロになるまで

パーソナルトレーナーとして働き始めたブレッシングはある日、友人のジョン・カーニーから大会に出ることを進められました。

前述の通り、ブレッシングは常に絞れている状態だったため、彼の体を見て勧めてくれたのでした。

ただ、ボディビルについてほとんど知らなかったブレッシングは一旦その誘いを断りました。

しかし、ジョンが何度も勧めてくるため、押しに負け、大会に出てみることにしました。

 

初出場の大会は2011年に開催されたRIBBF(Republic of Ireland bodybuilding Federation)のスプリングカップでした。

結果は4位となり、トップ3に入る事は叶いませんでしたが、彼はこの時に人生で初めてのIFBBプロに出会うことになりました。

その人物こそ“THE X-MAN”として知られているトニー・フリーマン(Toney Freeman)でした。

初めてトニーの体を見たブレッシングは、その美しすぎるXフレームに目を奪われ、放心状態で彼の体を見つめていていました。

大会の際には、トニーと話す機会もあり、

「君の骨格はボディビルに向いているよ」

という褒め言葉に加え、何が足りないのかというアドバイスまでもらい、大満足のデビュー戦になりました。

 

そして、2012年は同じくRIBBFのアイリッシュ・ナショナルズ(アイルランドの全国大会)のジュニア部門で優勝し、さらに翌年も同じ部門で優勝し、2連覇を果たしました。

 

メキメキと頭角を現し始めたブレッシングはアイルランド国内だけでなく、自分の実力を試すべく世界に挑戦することを決意しました。

彼が初めて出場した世界規模の大会は2013年にスペインで開催されたアーノルド・アマチュアでした。

 

結果は25人中7位で、世界でも通用するという確かな手応えを感じました。

 

しかし、彼は2014年のアーノルド・アマチュア最後のステージにしようと思っていました。

それは金銭的な問題が原因でした。

アイルランドの家族はブレッシングの収入に頼っており、彼には世界の大会に出続けるだけの金銭的余裕がなかったため、ボディビルを辞めるという選択肢以外ありませんでした。

それでもボディビルダーとしての夢を諦めたくないブレッシングは自分に条件を課しました。

 

「もし、この大会で3位以内に入らなければ、ボディビルから完全に身を引く。でも、もし3位以内に入れば、IFBBプロを目指す」

 

そうして臨んだ2014年のアーノルド・アマチュア。

 

彼は昨年以上の素晴らしい体を大会で披露し、無事に優勝することができました。

自分に課した条件を何とかクリアして、ボディビルを続けることに決めたブレッシングは住んでいた町から首都のダブリンへ引っ越すことに決めました。

彼が住んでいた町にはボディビルダーは彼一人しかおらず、今後成長していくためには、もっとたくさんの人と関わりを持つ必要があると考えた末の決断でした。

 

そして2014年のアーノルド・アマチュアの数か月後、引っ越しの準備を始めました。

賃貸できる余裕がなく、どうしようか迷っているという話をしていたところ、運良くアーノルド・アマチュアのジャッジの一人がその話を聞きつけ、冬の間なら家に住ませてくれると申し出てくれました。

しかし、夏には子供たちが帰ってくるとの事だったので、それまでに仕事を見つけて、家を見つけ出すように言われました。

 

そして、引っ越して半年以上が経ちましたが、ブレッシングは職を見つけることができずに、家を出ていくことになりました。

住む場所を失ったブレッシングは、3週間もの間ホームレスになり、車中泊で何とか凌ぎました。

ずっとホームレスを続けるわけにもいかないので、彼は必死に仕事を探した結果、なんとかIKEAの警備員として採用してもらえることになりました。

 

その後、家も見つけ、ダブリンでの生活が安定してきましたが、彼は2017年までほとんど大会に出ることはありませんでした。

彼は現在の体ではプロでは戦えないと踏み、ひたすらバルクアップに専念していました。

 

そして、最後に出場した大会から約2年後、進化したブレッシングは再びステージに立つことにしました。

出場したのはチェコ・オストラヴァで開催された大会でした。

彼にとっては、この大会で優勝すればIFBBプロカードが手に入るという大一番でした。

 

久々の大会で緊張感がある中、彼は成長した姿をステージで見せ、見事に一発で優勝し、IFBBプロカードを手に入れました。

 

しかし、ブレッシングの勢いは止まりませんでした。

彼は同年の2017年にはアイリッシュ・ナショナルズ、そしてアーノルドクラシック・アマチュアでも優勝し、1年で計3つのIFBBプロカードを手にしたのです。

 

特にアーノルドクラシック・アマチュアでは、今もIFBBプロで活躍するサムソン・ダウダや、アンドレア・ムジジェイムズ・ホリングスヘッドなどのツワモノを抑えての優勝でした。

圧倒的な実力を示し、プロへステップアップしたブレッシングでしたが、もう一つの側面で世間から注目を浴びることになりました。

 

SNSで話題に

プロとして脚光を浴びる存在になったブレッシングは、プロになった同年にSNSで一本の動画をきっかけに世界的に有名になることになりました。

 

この動画の他にも、馬のお面を被っている動画が反響を呼び、世界中でブレッシングの動画が拡散されることになりました。

 

さらには監視カメラの映像の面白動画がフォックスニュースに取り上げられるなど、当時のブレッシングはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

皆さんも一度はYoutubeなどでご覧になったことがあるのではないでしょうか?

 

しかし、プロになってから全く大会に出ずに、このように人を笑わせる動画を作っていたのはなぜでしょうか?

彼はボディビルに足りない要素の一つが、エンターテイメントだと考えているからです。

真剣にボディビルに向き合っている姿を見せるだけでは、トレーニングをしている人たちだけがボディビルに興味を持つことになります。

一方で、彼のようにSNSでボディビルダーが面白いことをすることで、ボディビルを知らない人でも、その存在を知るきっかけになると考えています。

“Not just to the bodybuilding community, but I want to be able to penetrate the other, wider range of audience, which helps me to get my followers. Half my followers don’t know nothing about bodybuilding. They’re just regular kids who enjoy a little bit of entertainment.”

「ボディビル業界だけでなく、もっと幅広いジャンルの人たちにボディビルを浸透させ、多くのフォロワーに知ってもらいたいんだ。俺のフォロワーの多くはボディビルについて何も知らない人達なんだ。彼らはただ面白い動画を楽しみたいだけの子供たちなんだ。」

SNSは彼にとってボディビルを近くに感じさせることができるいい窓口だと思い、それを活用しています。

結果的にそれが功を奏し、今では約190万人のフォロワー(2022年9月現在)を抱える大人気の発信者になりました。

 

さらに、彼の影響力の強さに目をつけ、某サプリメーカーが約4年間彼のスポンサーになってくれました。

結局、ブレッシングは一方的に企業に利用されただけの形で契約を終えることになりましたが、契約期間中はブレッシングとコラボしたプレワークアウトなどを販売していました。

そのプレワークアウトにはブレッシングの愛称である“BOOGIEMAN”と大きく書いてありました。

このBOOGIEMANという言葉は彼の好きな映画である“John Wick”の影響で名づけられました。

 

 

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主人公であるジョン・ウィックは劇中ではブギーマンとして恐れられています。

ブギーマンは誰にも止められず、目をつけられると必ず抹消されるといと信じられています。

彼のような圧倒的な存在感をステージで見せたいという思いから、この名前をつけることになったのです。

 

そして、その存在感を示すべく、ついに彼は2020年にプロデビューを果たすことにします。

 

IFBBプロとしての活躍

彼がプロデビューをするのに相応しいと考えた大会がアーノルドクラシック・オーストラリアでした。

アマチュア時代に優勝した思い入れのある大会であるのと同時に、数々の猛者たちが集まる大会は彼にとって打ってつけでした。

しかし、初めての大会に備え、減量期間に入ったブレッシングに悲報が届きます。

2020年に大流行したアレが原因で大会自体中止になってしまいました。

ようやくステージに立って、自分の実力を示すことができるチャンスが訪れたのに、結局それができず仕舞いで終わってしまいました。

 

そして時は飛んで2021年5月、約1年間の沈黙を破り、彼は遂に再びステージに立つことに決めました。

彼が選んだ大会はインディプロでした。

インディプロは年を重ねるごとに少しずつ人気が出てきており、有名選手たちも出場することが増えていました。

この大会で優勝すれば自分の実力が証明できると信じ、彼は着々と準備を進め、大会に臨みました。

 

結果は3位でした。

 

コンディションが少し甘く、上半身に比べると脚が弱く見えた結果でした。

しかし、これでは終わるつもりはありませんでした。

彼は約1週間後に控えていたニューヨークプロに出場する予定でした。

この大会には、SNSでずっと言い争っていたニック・ウォーカーとの直接対決が待っていました。

 

結果は6位で、あれだけSNS上でバチバチに争っていたニックの横にすら立つことができませんでした。

そして、この年はニックがブレッシングに圧倒的な差をつけ、優勝しました。

大会後のSNSでは、彼のことを励ますコメントがある一方で、

「あれだけ大口を叩いといて6位かよ」

「コンディション甘すぎてゲストポーズかと思ったわ」

などネガティブなコメントも多く散見されました。

 

しかし、そういったコメントが彼の心に火をつけました。

 

そのネガティブな感情をトレーニングのエネルギーに変換して、彼は来年のリベンジを心に誓いました。

そして2022年のインディプロ

帰ってきたブレッシングは細いウエストを維持したまま、昨年以上のコンディションとサイズアップした体で大会に挑み、宣言通り優勝しました。

 

インディプロには多くのオリンピアの出場経験者がいたため、同時に彼がオリンピアでも通用することも証明しました。

 

彼の快進撃はこれで終わりませんでした。

 

ブレッシングは1週間後のニューヨークプロでも続けて優勝し、瞬く間に一流のボディビルダーへと変貌を遂げました。

 

優勝後にはステージ上で昨年の王者ニックとまた言い合っていました。(仲いいな)

昨年のニューヨークプロではニックの隣に立つことすらできなかったブレッシングは、急成長を遂げ、今年遂にオリンピアの舞台に立ちます。

お調子者の彼はいきなり「優勝してやる!」

と言いそうですが、現実主義者の一面を持ち合わせているため、今年の目標は謙虚に

「People’s Champion(観衆をひと際盛り上げた選手)になることかな!」

と言っていました。

もちろん、いつかはミスターオリンピアになって、ブレッシング旋風を世界に巻き起こすと彼は宣言していました。

 

終わりに

以上がブレッシング・アウォディブの人生についての簡単な紹介になります。

彼の人生の初めはまさにどん底でした。

知らない国で、知らない言語で罵られ、イジメられた日々。

医者になるために勉強を頑張っても、報われることがなく、落ち込み続けた過去。

それでも彼は何度でも前を向き、戦い続けました。

人生の中でネガティブな感情に押し潰されそうになっても、彼にとってそれはエネルギーの源に他なりませんでした。

周りからのネガティブな感情を、自身のポジティブなエネルギーに変換する。

そうやってずっと前に進み続け、ついにオリンピアという夢の舞台にたどり着いた男の話でした。

周りの応援よりも、否定的な声の方が大きく聞こえてしまう時もあります。

しかし、彼のようにそのネガティブな声すらエネルギーに変える力を僕たちも身に着けたいですね。

 

引用元:

Blessing Awodibu – Complete Profile: Height, Weight, Biography – Fitness Volt
Blessing Awodibu is an Irish bodybuilder and social media influencer. This is his complete profile, life story, diet, training routines, and more.

ブレッシング・アウォディブのインスタグラム↓
https://www.instagram.com/blessing_awodibu/

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