引用元:https://www.instagram.com/p/CW_QRLfrXt0/?utm_source=ig_web_copy_link
皆さんこんにちは。
第19回のStory of Buildersはデレク・ランスフォード(Derek Lunsford)選手です。
パッション溢れるステージングが印象的で、ステージに立った時の華やかさ、スター性は目を引くものがあります。
2022年はオリンピアから特別招待を受け、今まで出場していた212ポンド以下級から階級を上げ、オープンディビジョンに挑戦することが決まっています。
5月に開催されたピッツバーグプロではゲストポーザーとして招待され、2021年のオリンピアのトップ5のうちの3人、ブランドン・カリー、ハンター・ラブラダ、ニック・ウォーカーと肩を並べましたが、サイズでは全く見劣りしておらず、ボディビルファンを驚かせました。
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そんな彼はどのようなルーツを持つのでしょうか。
デレクのボディビルのキャリアを振り返ると、
「デレク・ランスフォードはボディビルをするために生まれた男」
だと誰もが口をそろえて言うと思います。
それでは早速彼の人生を振り返っていきましょう。
目次
基本プロフィール
身長:約167cm
体重:約96kg(大会時)
国籍:アメリカ合衆国
生年月日:1993年5月14日
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生まれ~ボディビルダーになるまで
デレク坊やは1993年5月14日、アメリカはインディアナ州パイク郡ピーターズバーグで生まれました。
子供の頃から根っからのスポーツマンで、球技を中心に様々なスポーツに触れて育ちました。
しかし、デレクは同時進行で2種目以上のスポーツを並行して続ける器用さは持ち合わせておらず、一つ一つに100%の情熱を注ぎ込んでいました。
その考えは母親の教育が大きく影響していました。
「目標を一つ決めたら、全てにそれを捧げなさい」
母親は口酸っぱくデレクに言い聞かせ、のちにそのマインドセットが彼の人生における重要な核になります。
数あるスポーツの中でも最も得意だったのがサッカーでした。
彼は他の同級生たちよりも明らかにセンスが秀でていました。
持久力をつけるためにグラウンドを周る練習の時は、常にトップで練習を終えていました。
しかし、デレクは遅れているチームメイトがいると、一緒に走って隣で励まし続けていたそうです。
周りにモチベーションを与える姿は、子供の時から変わっていないようですね。
時は飛んで、デレクの高校時代。
デレクは地元のPIKE Central high schoolに入学しました。
彼は高校に入学してからはレスリング部に所属しました。
入学した時は体重が50kgしかなく、かなりの細身だったため、1年生の時は試合で2回しか勝てず、悔しいスタートになりました。
しかし、全てをレスリングに捧げる生活が始まり、彼はメキメキと成長していきました。
「やればやるだけ成長できる!」
彼の中には確かな手ごたえがありました。
最終学年である4年生になる時には、体重も10kg近く増えました。
1年生の時には試合で2回しか勝てなかったのが、4年生になると逆に2回しか負けないほど強くなっていました。
彼の実力が評価された結果、高校卒業後はレスリングの特待生としてカンバーランド大学に進学しました。
しかし、入学して間もなく、大学がどうしてもしっくりこず、あっさりと辞めてしまいました。
その後別の大学に入学し、そちらではビジネスの勉強を始めました。
その大学はちゃんと卒業することができましたが、在学中もレスリングの時のような「これだ!」という感覚はありませんでした。
そんな移り気なデレクが唯一続けていることがありました。
それが筋トレでした。
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元々はレスリングの強化の一環として筋トレは始め、高校生の時から定期的にジムに通っていました。
当時はボディビルについては何も知らず、ただ筋トレの爽快感や、自分の体が変わっていくのが楽しくて続けていました。
大学生のある日、ジムで自分よりも体が大きく、とんでもなく重い重量を挙げている人を見かけました。
デレクはその人が何者なのか知りたくて話しかけました。
「すごい体ですね!普段お仕事は何をされてるんですか?」
「ボディビルダーだよ。」
「ボディビルが仕事、、、?」
ボディビルについて全く知識がなかったデレクはボディビルが仕事になるなんて考えもつきませんでした。
しかし、話を聞いていくうちにそれを理解し始め、同時にボディビルダーという生き方に興味が湧いていきました。
その日を境にデレクはボディビルが頭から離れなくなりました。
そして、後日のことです。
脚をトレーニングする日になかなかモチベーションが上がらず、ハードなBGMをバックにボディビルダー達がトレーニングをする動画を車の中で観ていました。
「かっこいい、、、」
「こんな風になりたい、、、!」
デレクの中で何かが燃え上がり始めました。
その時、ふとバックミラーに映る自分と目が合いました。
「俺はボディビルダーになるんだ。」
一度自分に言い聞かせ、さらにもう一度確かめるように自分に言いました。
「俺はボディビルダーになるんだ!」
この日からデレクはボディビルに人生を捧げると決意しました。
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決めたはいいものの、彼はレスリングのための筋トレは知っていても、ボディビルダーになるための筋トレは全く知りませんでした。
そこで、少しでも知識を増やすために図書館に行ってパソコンで調べたり、本を読んだりして学んでいきました。
学んだことを実生活やジムで応用し、着実にボディビルダーに近づいていきました。
そして、1年半そのようなライフスタイルを続けたのち、初めて出場する大会を地元で開催されるNPC Indianapolis Championshipsに決めました。
ただ、知識は増えたとはいえ十分ではなかったため、James Brownにコーチを依頼し、食事やトレーニング、ポージングなど、全て見てもらいました。
1年半の修行を終え、迎えた初大会。
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デレクは初めての大会とは思えない程の素晴らしい体つきで大会に臨み、見事ウェルター級で優勝しました。
大会時は完全に絞り切れてはいませんでしたが、体重は72kgまで増えていました。
「俺にはボディビルの才能がある!」
初大会でそう感じたデレクは、ここから本格的にボディビルのキャリアを歩み始めることを決めました。
IFBB PROになるまで
初大会優勝後、現在の実力がどれほど通用するか試してみたくなり、彼は同年にNPC Junior Nationals(アメリカの全国大会)にも出場しました。
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何とデレクはこの大会でも階級優勝し、僅か2回目の大会でジュニアの全国制覇を成し遂げたのです。
もちろん遺伝的な恩恵はありますが、1年半もの研究が実った結果でした。
デレクは大会後さらにバルクアップし、翌年からは階級をミドル級に上げて挑戦しました。
階級を上げてからもNPC middle west battle of championsで階級優勝、NPC Junior Nationalsでも階級優勝、オーバーオール優勝など、ここまで1度も負けることはありませんでした。
しかし、同年のNPC USA Championshipsでは惜しくも2位になり、ボディビルで初めての敗北を喫しました。
ボディビルで初めて感じた敗北感。
デレクはこの大会で優勝してプロになるつもりだったので、当初の計画が崩れてしまいました。
しかし、負けてからもやることは変わりません。
彼は再び立ち上がり、翌年のUSA Championshipsだけを見据えて、毎日ひたむきにボディビルと向き合いました。
そして2017年のUSA Championships。
彼は前年の大会から体重を7kg増やし、階級をさらに一つ上げての挑戦でした。
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デレクは今まででベストの体で大会に挑み、見事に階級優勝、そしてオーバーオール優勝を果たし、ついにIFBB PROカードを手にしたのです。
ようやく欲しかったものが手に入り、彼は安心感で満たされましたが、大会後に暴飲暴食することはありませんでした。
実は、彼にはもう一つの計画があったのです。
遡ること大会の5週間前。
IFBB PROの大会スケジュールを眺めていると、ある事に気が付きました。
それはUSA Chapmpionshipsの6日後にタンパプロが控えている、ということです。
その時彼はこう思いました。
「USA Championshipsでプロになればそのままタンパプロにも出場できるな、、、」
実はデレクはUSAでプロになって、タンパプロに出場することまで見据えて動いていたのです。
そして、計画通りプロになり、その勢いのまま彼はタンパプロの212ポンド以下級に出場しました。
出場リストには過去にオリンピアに出場した選手も数名いましたが、彼には関係ありませんでした。
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何とプロになった6日後に彼は初出場したタンパプロで優勝し、いきなりオリンピアへの切符を手にしたのです。
多くのIFBB PROがオリンピアに憧れ、最終的には出場すら叶わない選手がほとんどの中、彼は僅か6日でそれを成し遂げてしまったのです。
恐るべき才能です。
もちろん、この年彼はオリンピアに出場することになりますが、すでに彼の実力は世界トップクラスでした。
IFBB PROとしての活躍
先にタンパプロ以降の彼のIFBB PROとしての実績を載せておきます。
2018 ミスターオリンピア 2位
2019 ミスターオリンピア 2位
2020 ミスターオリンピア 4位
2021 ミスターオリンピア 1位
はい、そうなんです。
彼は2017年のタンパプロ以降一度もオリンピア以外に出場していません。
プロとしてこれはいかがなものかという批判がありますが、僕もそれには同意します。
ただ、多くの選手は大会を通して改善点を見つけて、次の大会へ、、、というルーティンを繰り返すのですが、彼の場合は最初からオリンピアでトップ5に入る実力があったため例外なのかなと思います。
それでもいちボディビルファンとしてはもっとステージに立つ機会を増やしてほしいと思いますね。
話は戻り、彼の実績についてですが、先述の通りいきなり2017年のオリンピアでトップ5に入り込んできました。
多くの人たちはその結果に驚き、一気にデレク・ランスフォードという名前が世に広まりました。
しかし、当の本人は結果に全く満足していませんでした。
彼のキャリアを振り返ると、2016年のUSA Championships以外は優勝し続けていたため、5位というのは彼にとって挫折だったのです。
(挫折のハードル高すぎやろ、、、)
各年ごとに彼の成長を振り返っていきましょう。
2017年
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デレクが初めてオリンピアに出場した年です。
今まで夢見ていた舞台に足を踏み入れることができて、夢がかなった喜びで心が満たされていました。
会場には今までYoutubeやInstagramで見てきた尊敬する選手たちが顔をそろえ、夢の中にいるかのようでした。
ただ、オリンピアの舞台に立つということは、今までのアイドルだった選手たちががライバルになるということを意味します。
「今年はとにかく自分のベストを尽くすこと」
これが2017年のオリンピアの目標でした。
感謝の心を胸に臨んだ初のオリンピアは、5位という結果に終わりました。
悔しい気持ちはありましたが、翌年はさらに進化することを誓いました。
2018年
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デレクの2回目のオリンピアです。
この年は今まで212の絶対王者として君臨し続けたフレックス・ルイスが最後のオリンピアだと宣言していました。
デレクにとってフレックスは憧れの存在であり、だからこそ絶対に超えたい存在でした。
昔は彼のモチベーション動画をよく見ていました。
そんな彼と同じステージに立ち、肩を並べることができる自分をを誇りに思いながらステージに立ちました。
結果発表の時は下位の選手たちから次々に呼ばれて行き、最後に残ったのはデレクとフレックスでした。
そして、2位としてデレクが呼ばれ、フレックスが最後まで王者の座を守り続けました。
デレクの名前がコールされた後には、フレックスから熱い言葉をかけられ、2018年のオリンピアは幕を閉じました。
2019年
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3回目のオリンピア。
今までずっと王座を守り続けたフレックスが引退し、ついにその座が空きました。
前年2位だったデレクが優勝候補として有力視され、ファンからの期待が高まっていました。
しかし、彼はプレジャッジの時に完全に体から水を抜けきれておらず、コンディションが甘い状態でステージに立ってしまいました。
その結果、コンディションが毎回神がかっているカマル・エルガーニに敗れ、この年も2位という結果に終わってしまいました。
「絶対に今年は勝てる」という自信があったため、大会後はかなり落ち込みました。
しかし、2020年はチャンピオンになることを目標に定め、彼は再び動き始めました。
2020年
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4回目のオリンピア。
2020年の初頭にアレが世界中で大流行してしまい、多くのジムが閉鎖に追い込まれました。
しかし、デレクは運よく今まで通りストレスなくトレーニングができる環境に恵まれ、12月のオリンピアに備えていました。
大会当日は前年のコンディションを反省し、かなり徹底的に食事にこだわりました。
しかし、こだわりすぎたが故にエネルギーが不足したような張りがない体になってしまいました。
その結果、4位に終わり、またもオリンピア優勝が叶いませんでした。
もう一歩のところまで来ているのに、なかなか最後のワンピースが足りず、もどかしい気持ちでした。
しかし、負けたことで周りの人たちのサポートの手厚さに気づかされ、人間的に成長できたと感じられる年になりました。
2021年
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5回目のオリンピア。
2020年に4位終わったことを受け、デレクは今までボディビルダー1日目からずっと二人三脚で頑張ってきたJames Brownとコーチ契約を解消することにしました。
これは二人にとって、かなり辛い決断でした。
周りからもコーチを替えた方がいいとアドバイスをもらいながらも、二人でオリンピア優勝を目指し頑張ってきていたため、なかなか言い出せずにいました。
しかし、さらなる高みを目指すためには別の角度からのアプローチが必要であると考え、彼は決断に踏み切りました。
彼が新たに就けたコーチは、多くのオリンピアンのコーチを担当しているでことで知られる天才ハニー・ランボッドでした。
ハニーはコーチの依頼を受けた時に最初にデレクにこう尋ねたそうです。
「お前は自分でアスリートだと言い切れるか?」
本気で1位を目指すためにはアスリートのような過酷なトレーニングと食事が欠かせません。
デレクの覚悟を確かめるために、そう質問したそうです。
ハニーにコーチについてもらってからは全てが変わり、新しい学びを得る日々でした。
そして、そのまま2021年のオリンピアを迎え、デレクは今までとは別次元のコンディションで大会に臨むことができたのです。
自信あふれるステージングを見せ、2021年デレクはついにオリンピアで優勝することができたのです。
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夢が現実に変わり、今までの犠牲にしてきた日々が報われた瞬間でした。
数年間「オリンピアで優勝する」という事だけを考えて毎日過ごしてきて、ようやくそれが現実になった時は、驚き、混乱しました。
しかし、少しずつ実感がわき、優勝という感触を久々に感じることができたのです。
そんな彼は冒頭で書いたように、2022年オープンディビジョンに挑戦します。
今年はラインナップが豪華で、例年に増して盛り上がりを見せるのは間違いないです。
その中でトップ10に入ることができるのか。
彼の真価が試されます。
終わりに
以上がデレク・ランスフォードの人生についての簡単な紹介になります。
レスリングに打ち込んだ高校生活が終わり、情熱をぶつける対象がなくなって、エネルギーの行き場をなくしていた大学時代。
そんな中、筋トレ、そしてボディビルに出会い、生きる意味をそこに見出しました。
“If you are determined and you believe it, you can achieve it.
If you dream it, you can become it”
「自分が決意したことを信じることができれば、それはいつか達成できる。
もし何かに夢見れば、いつかそれになれる。」
これが彼のモットーであり、この言葉が嘘ではないと彼自身が証明してきました。
今彼が夢見ていることはきっと
「オープンディビジョンで優勝すること」
に違いありません。
いつか本当に彼がその夢を叶えることができるのか、これから先の彼の人生を皆さんで楽しみに見届けましょう。
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引用元:
Derek Lunsford – Complete Profile: Height, Weight, Bio – Fitness VoltDerek Lunsford is one of the top prospects in the IFBB's 212 division. This is his life story, as well as accomplishments, training regimen, and diet.デレクのインスタグラム↓
https://www.instagram.com/dereklunsford_/