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皆さんこんにちは。
第20回目のStory of Buildersはアンドリュー・ジャックド(Andrew Jacked)選手です。
今年3月に開催されたアーノルドクラシックアマチュアでIFBB PROになり、8月に出場したテキサスプロではデビュー戦を優勝で飾りました。
身長188cmから生み出される美しいプロポーションに多くのボディビルファンが彼の虜になりました。
しかし、ボディビルダーとしてのキャリアが浅いため、まだ彼についての情報が多く出回っていません。
今回は彼の生い立ちから現在に至るまでの興味深い情報を、可能な限り集めてきたので、ぜひご覧ください。
目次
基本プロフィール
身長:約188cm
体重:約135kg(大会時)
国籍:アメリカ合衆国(生まれはナイジェリア)
生年月日:1984年12月
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生まれ~ドバイに引っ越すまで
アンドリュー坊やは1984年12月にナイジェリアで誕生しました。
男の子3人女の子4人の7人兄弟で、アンドリューは上から三番目でした。
当然これだけ兄弟がいると金銭的に余裕があるはずもなく、食事をすることすらままならないような生活でした。
だからこそ幼い頃から食事のありがたさを知り、食べられることに感謝していました。
金銭的余裕はなかったものの、寝る場所があり、温かい家族と友達がいて、遊ぶ場所もある。
アンドリューはお金がなくても、それだけで十分な幸せを感じていました。
彼は子供のころから人一倍活発で、とにかく運動をするのが大好きでした。
スポーツは、空手やキックボクシング、サッカーなどありとあらゆるものを経験しました。
特にサッカーが得意で、彼はゴールキーパーをしていました。
そのダイビング力の高さからついたあだ名は“Dove”(鳩)でした。
マンゴーの木を登ったり、道を走り回ったり、子供の頃はとにかく動き回っていました。
そんな運動が大好きなアンドリューには憧れの存在がいました。
それがジャッキー・チェンでした。
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映画の中で次々に敵をなぎ倒していく姿に憧れを抱き、いつかジャッキーのようになりたいと思っていました。
彼はジャッキー・チェンが好きすぎるあまり、子供の頃はジャックというニックネームが付けられ、それが現在の名前であるJackedにつながっています。
ちなみにアンドリューの本名はChinedu Andrew Obiekeaです。
他にもチャック・ノリスや、ジャン=クロード・ヴァン・ダムなどスタントを得意とする映画スターが彼のお気に入りでした。
アンドリューがフリーポーズでいつも披露してくれる開脚のポーズ。
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このポーズももちろんジャン=クロード・ヴァン・ダムに影響を受けて、真似し始めたことで習得した特技です。
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抜群の運動神経に加えて、彼にはもう一つの特技がありました。
それは電気製品の修理でした。
彼は子供の頃から論理的思考と創造性に秀でていました。
その強みを生かして、もし電気製品が故障して困っている人がいれば、何でも修理してあげられていました。
彼はのちに大学で電気工学の学位を取り、電気工学士を生業にすることになります。
ここまで筋トレの話が一切出ていませんが、彼はいつから筋トレを始めたのでしょうか。
彼が筋トレを始めたのが2005年頃です。
当時はクロスフィットやカリステニクスなど、筋肥大と運動神経の向上を兼ねたトレーニングをメインにして体を鍛えていました。
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こちらがトレーニングを始めて約3年目の体ですが、すでに現在の体の原型が見えますね。
この時から現在まで、誰かにトレーニング方法をコーチングしてもらったことは一度もなく、すべて独学で取り組んできました。
彼はもともと研究者気質なところがあり、トライアンドエラーを繰り返して、成長していくことを楽しんでいました。
しかし、自分がやりたい事がはっきりとしない状況が続いており、何か明確な目標が彼には必要でした。
「強みが欲しい」
彼は新しい刺激を求めて、新天地ドバイに引っ越すことにしました。
ドバイでの生活
ドバイに引っ越してからは知り合いが一人もおらず、何か計画があったわけでもなかったので、一から再スタートすることになりました。
自分の創造性を生かして画家として路上で絵を売ったりすることもありましたが、長くは続きませんでした。
そこで彼が始めたのがホテルなどの警備でした。
アンドリューは独自に自分の警備チームを結成し、ドバイの高級ホテルに営業をかけて、警備の仕事をさせてもらえないか、頼み込んでいました。
承諾してくれるホテルもあり、彼はそこから警備員としてドバイで生活することになります。
その後、彼の仕事ぶりを見たドバイの有名な警備会社の社長が彼に目をつけ、アンドリューにオファーをかけるほど、アンドリューの仕事っぷりは素晴らしかったのです。
その後一度、カタールに移住することもありましたが、結局はドバイに定住することになりました。
ドバイでの生活は日々新しい発見が続き、刺激的な毎日を過ごしていました。
そんな中、運命の出会いがあります。
のちにトレーニングパートナーになるラリー・ウィールズとの出会いです。
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まさに彼らの出会いは運命的でした。
アンドリューがいつものように朝8時にジムに向かい、駐車して車を出た瞬間隣の車からラリーが降りてきました。
そこで軽い挨拶を交わし、少し話したところ、その日はお互い一人でトレーニングをする予定だったため、合同トレーニングをすることになりました。
2人とも筋肉量だけでなく、筋力が異常に強く、アンドリューはラリーと張り合えるほどのものを持っていました。
その日から彼らは意気投合し、その後も共にトレーニングする仲になりました。
仲良くなった初日には、ラリーが滞在しているホテルにアンドリューを呼び、まずはインスタグラムで発信するように伝えたそうです。
しかし、今までSNSをやったことがなかったアンドリューは設定方法など分からず、すべてラリーに任せました。
(今も当時設定したパスワードから変更していないため、ラリーはアンドリューのアカウントにログインしようと思えばできるそうです笑)
アンドリューは10歳年下のラリーのことを兄のように慕っています。
ラリーと出会ったことで人生の指針が大きく変わり、いい方向に進めるようになったため、アンドリューにとってラリーは神様が送り込んでくれたプレゼントだと思っているほど、彼の存在には感謝しているそうです。
話は戻り、彼は警備の仕事をやめ、もともと専門であった電気工学士として働き始めました。
どこかの企業に正社員として雇われるのではなく、自分で仕事を取って働くフリーランスという働き方がアンドリューには合っていました。
仕事はほどほどに、遊ぶ時間もしっかり設けるのが彼のライフスタイルです。
とは言いつつも、彼の趣味は筋トレと電気工学の研究です。
仕事外でも電気工学の論文を読んだり、調べたりしています。
ボディビルのキャリアが落ち着いたら、大学院に進学し、電気工学の修士号を取りに行く計画もあるそうです。
驚くべきことに、彼は2022年のアーノルドクラシックまで電気工学士として普通に働いており、仕事を心の底から楽しんでいました。
ボディビルダーになるまで
普通に働いていたアンドリューは何がきっかけとなりボディビルを始めることになったのか。
それはインスタグラムの開設がかなり影響しています。
今まで彼はSNSを何もしていなかったため、その存在が世に知られることはありませんでした。
しかし、インスタグラムの開設、また、ラリーとの動画撮影などを通してて世界中の人々にアンドリューの存在を知られることになりました。
「何者なんだあのでかい奴は!?」
「え、待ってくれ!ラリーよりもでかくないか!?」
そのうち彼の名前がトップボディビルダーの中でも知られるようになり、彼らから
「ボディビルを始めたほうがいいよ!」
とアドバイスをもらうこともありました。
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しかし、当のアンドリューは全くボディビルに興味はなく、ボディビルダーになるつもりはさらさらありませんでした。
しかし、2019年にドバイで開催されたエキスポで多くのIFBB PROや有名コーチと直接会う機会がありました。
ジェレミー・ブエンディア、ブランドン・カリ―、ビッグ・ラミー、カイ・グリーン。
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そのエキスポに参加した選手はかなり豪華な顔ぶれでした。
エキスポでも多くの有名選手からボディビルを勧められ、少しずつ興味が湧いてきました。
アンドリューはやる気スイッチのオンオフが自在で、ひとたび
「やる!」
となれば、ひたすら目標の達成だけを視野に入れ、行動をとるようになります。
アンドリューはエキスポの後、2020年2月に開催されるアーノルドクラシックアマチュアでのプロカード獲得に向けて準備を始めました。
もちろんだからと言って仕事は辞めたりせず、仕事以外の有効活用できる時間をボディビルのために充てる生活を続けました。
着々と準備を進め、大会が目前に控えた2020年1月。
あのウイルスが世界規模で大流行し、アンドリューはアーノルドクラシックを諦めざるを得ない状況になってしまいました。
こちらが大会直前の無加工の体です。
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恐らくこの体で出場できていれば、IFBB PROになれたのは間違いないでしょう。
大会に出られず無念に終わりましたが、彼は図らずも翌年の2021年再挑戦することになりました。
彼が初めて出場することになったのはUAEで開催されたEBBF Ajman Bodybuilding and Physique Competitionでした。
コーチから大会の話を持ち掛けられた時は出場する気が全くなく、一度断りました。
しかし、大会6日前にコーチから電話があり、話の内容を聞かず適当に「はい、分かりました~」と答えていたら、実はそれが大会の参加を確認する電話で、急に大会に出場することになってしまったのです。
つまり大会まで5日間で減量を終わらせないといけないということです。
ただ、アンドリューは常に体脂肪率が低く、絞れている状態だったため何とか大会まで最低限のコンディションは間に合わせることができました。
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100%のコンディションではありませんでしたが、大会では圧倒的な差で優勝しました。
そして、この大会は実はIFBB ELITE PROのプロカードがかかった大会だったため、アンドリューはIFBB ELITE PROになる資格を得ることができたのです。
しかし、彼が目指していたのはIFBB PROだったため、次の大会に向けて準備を続けました。
彼が2回目に出場したのがFBBC Fujairah Challenge Championshipsでした。
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もちろんこの大会でも圧倒的な実力差を見せつけ、優勝しました。
この大会はUAEで最も権威がある大会だったため、アンドリューはわずか2回目の大会にして、UAEでナンバーワンに上り詰めたのです。
つまり、もうそこには敵がいないということです。
というわけで、次はIFBB PROカードを目指し、アメリカの大会に挑戦することにしました。
きっかけを作ってくれたのは212の元王者フレックス・ルイスでした。
10月にフレックスから連絡があり、12月のアメリカ旅行のついでに会う約束をしました。
2か月後、約束通り彼らは会って他愛もない会話をしていましたが、フレックスから提案がありました。
「このままアメリカに滞在して、来年のアーノルドクラシックアマチュアに出てみたら?」
誘いを受けたアンドリューでしたが、彼はそんなつもりはなかっためきっぱり断りました。
しかし、その後も続くフレックスの押しに負け、一旦ドバイに帰って、改めて3月にアメリカ戻ってくることを約束しました。
約束通り2022年3月、ジョージ・ファラーをコーチに就け、体を仕上げたアンドリューはアメリカに舞い戻ってきました。
彼がアーノルドクラシックアマチュアに出場するというニュースは当時かなり話題になっていました。
彼の実力はアメリカでも通用するのか、全世界が注目していました。
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彼は決して期待を裏切ることはありませんでした。
見事にアーノルドクラシックアマチュアで優勝し、この日アンドリューは目標だったIFBB PROになれたのです。
ようやくIFBB PROになれて、アンドリューは心底ホッとしました。
そして、ここから彼の大躍進が始まります。
IFBB PROとしての活躍
アンドリューがIFBB PROになったというニュースは一躍話題になりましたが、直後に大会に出場することはなかったため、その存在を少し忘れられていました。
しかし、7月後半にフレックス・ルイスが経営するDragon’s Lairでポージング練習をする動画が拡散され、世界に再び衝撃を与えました。
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「なんだこの均整の取れた体は!?」
「現役選手の中で一番美しい!」
世界中が彼の体に熱狂し、出場宣言をしたテキサスプロを心待ちにしていました。
しかし、一方で彼の体に懐疑的な考えを持つボディビルファンがいたのも事実です。
「実際にプロと並ばないと分からないよ」
「1回もプロの大会に出たことないくせに過大評価され過ぎて草」
一見ネガティブに見えるコメントも、アンドリューからするとポジティブなエネルギーの源でしかありませんでした。
「黙って見てろ」
心で闘志を燃やしながら、彼は大会に臨みました。
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名だたるプロ選手たちを抑え、彼は初のプロ大会で見事に優勝したのです。
そして、オリンピアへの出場を一発で決めました。
大会後のインタビューでは
「この体は75%の仕上がりだから、アーノルドUKを楽しみにしといてくれ」
と言い残し、アーノルドUKへの出場も宣言したのです。
そして、9月末に開催されたアーノルドUK。
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アーノルドUKも見事に優勝し、すでに並みのオリンピアンよりも実力があることを示してくれました。
その美しすぎるフレームからつけられた彼のあだ名は
“The Monalisa of BB”
です。
直訳すると「ボディビル界のモナリザ」です。
まるで絵画のように美しい彼の肉体にぴったりの二つ名ですね。
ちなみに、今年初出場のサムソン・ダウダと、神の粉ことブレッシング・アウォディブもナイジェリアにルーツを持っています。
この3人に共通すること。
それは3人とも見とれるような美しい骨格をしているという点です。
この3人は、初出場の選手の中でも特に期待されている3人です。
初出場でどれだけのインパクトを与えられるのか、ワクワクが抑えられませんね。
終わりに
以上がアンドリュー・ジャックドの人生についての簡単な紹介になります。
目標を達成するまでは一貫した行動を取り、すべて自分の力で欲しいものをつかみ取ってきました。
しかし、彼が設定する目標は常に現実的なものでした。
自分自身のことは自分が一番知っているはずです。
自分のキャパシティをオーバーした目標を設定すると、必ず失敗してしまい、自信を喪失する未来が待っています。
はしごを登るように、一歩、また一歩と進み続けること。
一気に大きく成長しようとせず、時間をかけてじっくりと目標に到達することが大切だと彼の人生が教えてくれました。
皆さんも目標は大きくしすぎず、少しずつ自分の成長を見守りましょう。
引用元:
アンドリューのインスタグラム↓
https://www.instagram.com/andrewjacked/