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皆さんこんにちは。
第18回のStory of Buildersはブランドン・ヘンドリクソン(Brandon Hendrickson)選手です。
言わずと知れたメンズフィジークのチャンピオンで、2018年、2020年、2021年のミスターオリンピアを制しています。
今回がメンズフィジーク選手についての初めての記事になりますが、今後も2022年のオリンピアまでに有力選手を数名紹介していこうと思います。
2018年は当時の絶対王者であったジェレミー・ブエンディアを破っての優勝で、世界に衝撃を与えました。
貧しい家庭で育った彼は幼い頃から“Hard Work”の精神が植えつけられました。
そんな彼が真のチャンピオンになるまでの物語をご覧ください。
目次
基本プロフィール
身長:約172cm
体重:約88kg(大会時)
国籍:アメリカ合衆国
生年月日:1987年6月16日
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生まれ~筋トレを始めるまで
ブランドン坊やは1987年6月16日、アメリカはイリノイ州シカゴで生まれました。
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両親はトリニダード・トバゴ出身で、父親、母親、姉、ブランドンの4人家族でした。
家庭は貧しく、欲しいものが何でも手に入るような環境ではありませんでした。
貧しいながらも、必死に働いて生活を成り立たせている両親を見て育ったブランドンは、子供の頃から“Hard Work”の精神が自然と育っていました。
「欲しいものがあったらそれ相応の努力をしないといけない」
この精神がのちにチャンピオン誕生へ大きく貢献することになります。
学校では活発だったブランドンはアメリカンフットボールをはじめ、レスリング、陸上、サッカーなど様々なスポーツを経験していました。
スポーツが大好きで、学生時代はスポーツに命を捧げていました。
その結果、彼は16歳になる頃にはほとんどウェイトトレーニングをしていないにも関わらず素晴らしいフィジークをしており、すでにその素質を感じさせていました。
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上の写真のようにいい体をしていたため、友達のKIKIちゃんからはよくボディビルの道に進むことおすすめされていました。
「絶対才能あるから!ボディビルダーになった方がいいって!」
いち早く彼の才能を見抜いてたKIKIちゃん、恐るべし。
スポーツに熱中した高校時代も終わり、彼は特にやりたいことがなかったため、とりあえず大学に入学することにしました。
学費は高額でしたが、教育熱心な父親のおかげで入学させてもらえました。
大学は南イリノイ大学カーボンデール校で、専攻は健康管理学でした。
大学では授業を真面目に受けていましたが、彼は高校時代と比べると体を動かす機会が減ってしまいました。
その代わり、両親に内緒でパーティーに明け暮れて、大学外では遊びほうけていました。
その結果、ブランドンは見た目は痩せてはいるものの脂肪が乗っているいわゆる“Skinny fat”の体になってしまいました。
彼が失ったものは筋肉だけでははありませんでした。
人として必要不可欠なモノ。
「自信」を失ってしまったのです。
かっこいい体と自信を失ったままブランドンは大学を卒業することになりました。
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自信を失ってしまうと何もうまくいきません。
卒業してからは大学で学んだ健康管理学を活かせる仕事を探していましたが、一向に仕事は見つかりませんでした。
何もすることがなくなってしまったブランドンは、トレーニングの再開に加え、卒業した南イリノイ大学に再入学し、次は航空学の勉強を始めることにしました。
小さい頃の夢はパイロットだったため、その夢を実現させるための再入学でした。
しかし、入学してから間もなく。
入学前に就職試験を受けたセントラル・デュページ病院から内定通知が届き、あっさりと大学をやめることにしました。
病院からはpatient transporter(患者さんの移動を手伝う仕事)として雇ってもらえることになりました。
この仕事の中で重要になることは患者さんとの会話で、患者さんの心に寄り添えることが何よりも大切です。
元々人との会話が好きで、コミュニケーション能力が高かったブランドンにはこの仕事は打ってつけでした。
とにかく仕事が楽しく、人助けにやりがいを感じていました。
その結果、ブランドンはわずか6か月でホスピタリティマネージャーへ昇進し、患者さんや部下の監督を任されるようになりました。
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(ホスピタリティマネージャー時代)
しかし、昇進した結果、現場で働いていた時ほど患者さんと関わる事がなくなってしまいました。
加えて、休みも減り、数少ない休みの日でも仕事以外にすることが特になく、自分が生きている意味を失いかけていました。
仕事にはやりがいを感じていながらも、仕事の影響で私生活が圧迫されている状況でした。
彼はそういった状況に嫌気がさしてしまい、25歳の時、前触れもなく急に仕事を辞めることにしました。
家族はブランドンから「仕事にやりがいを感じている」という話を聞いていたため、退職の報告を聞いた時はかなり動揺していました。
仕事を辞めてからというもの、彼は本当にやることがなくなってしまい、毎日母親が帰ってくるのを待って、車でジムまで送ってもらっている生活を続けていました。
車もない。
お金もない。
仕事もない。
彼は自分を惨めに思い始め、また自信を無くし始めていました。
不安を抱える中、ある日街を歩いていると、ホームレスの人たちを路上で目の当たりにする機会がありました。
「このままでは自分も同じように生きる希望が無くなってしまうのではないか」
「何か行動を起こさなければいけない」
彼はそこから仕事を探し始め、何とか就職することができました。
彼が次に就職したのは日本でも馴染みがあるアパレルブランドのAbercrombie & Fitchでした。
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病院の時の仕事とは違い、9時出勤17時退勤が基本だったため、タイムマネジメントが楽になり、規則正しい生活を送れるようになりました。
規則正しい生活はボディビルには欠かせません。
転職した結果、より筋トレに打ち込めるようになり、ブランドンの体は少しずつバルクアップしていきました。
アマチュア時代~脚光を浴びるまで
ブランドンは2012年に初めて大会に出ることになりました。
きっかけはNPCのメンズフィジーク部門を見た際に、Colin Hornという選手が活躍している姿を見て、「自分もこれくらいの体なら目指せる!」と思ったことでした。
とは言え、ブランドンの当時のトレーニングは散々なものでした。
通っていたのは“Life Time Gym”という地元のジムで、設備はかなり整っていました。
しかしブランドンはジムに着くとまず15分間の有酸素運動をして、その後ベンチプレスを数セットして、そのまま家に帰るとうルーティンを毎日繰り返していました。
減量方法もよく知らず、とりあえず鶏肉と白米を食べて減量っぽいことをしていました。
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こちらが大会時の写真ですが、そのトレーニング内容がそのまま体に現れているのが分かると思います笑
しかし、2大会連続で2位に入れたことから、彼は自分にポテンシャルがあるのではないかと思い始め、そのままメンズフィジークのキャリアを続けることにしました。
もちろん今のトレーニングのままでは勝てないことも分かっていたため、2013年からはMandis Buckleにコーチについてもらい、本格的にメンズフィジークのプロを目指し始めました。
2013年は1年間で5回大会に出場しました。
大会を重ねるたびに成長していき、ブランドンは見事に5大会目のNPC Nationalsで優勝し、念願だったIFBB PROカードを獲得しました。
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遂にスタート地点に立つことができたブランドン。
彼がプロとして初めて出場したショーは2014年に開催されたMile High Proでした。
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大会結果は25人中7位というまずまずの結果でした。
以下がMile High Pro以降から2016年までの大会結果です。
2014 ダラスプロ 7位
2015 ウェスタンカッププロ 8位
2015 ニューヨークプロ 7位
2015 マイルハイプロ 4位
2015 タンパプロ 1位
2015 ミスターオリンピア 5位
2016 アーノルドクラシック 1位
2016ミスターオリンピア 4位
彼が選手として認知度を大きく上げたのは2016年のアーノルドクラシックでした。
出場リストには現在もトップで活躍するライアン・テリーや、アンドレ・ファーガソン、レイモント・エドモンズなど、そうそうたるメンバーでした。
そういった中で、当時はそこまで有名ではなかったブランドンが優勝し、一躍その名を世間にとどろかせました。
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アーノルドクラシックに出場していた他の選手たちはSNSのフォロワーが50万人や100万人いるのが当たり前で、当時5000人しかフォロワーがいなかったブランドンに世間は驚きました。
「何者だあいつは!?」
「よく知らない選手がアーノルドで優勝してるんだけど!」
この大会をきっかけにブランドンはメンズフィジーク界で名前が知れ渡り、トップ選手の仲間入りを果たしました。
真のチャンピオンになるまで
ブランドンは2016年のアーノルドクラシックで優勝したことで一躍有名になり、同年のミスターオリンピアでも4位という素晴らしい成績を残しました。
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そこからのブランドンはまさに破竹の勢いでした。
2017年から2018年までの彼の成績です。
2017 ミスターオリンピア 3位
2018 ジチェンクラシック 1位
2018 ジャパンプロ 1位
2018 アジアグランプリ 1位
2018 ソルトシティショーダウン 2位
2018 ガバナーズカップ 1位
2018 ハワイプロ 1位
2018 アーノルドクラシック 3位
特に2018年は凄まじい成績を残しています。
ちなみに、ソルトシティ・ショーダウンでブランドンを下したのは、アジア人の星であるジョセフ・リーです。
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しかし、急に頭角を現してきたブランドンをすんなりと受け入れるファンばかりではなかったのも事実です。
彼が大会で活躍し始めてからファンに加えて、アンチの存在もよく見られるようになりました。
彼らはSNSでブランドンに対して
「アーノルドでたまたま優勝しただけやん」
「ジェレミーにはどうやったって勝てないよ」
などと嫌味なことを言い続けてブランドンの気力を落とそうと必死になっていました。
ただ、それはブランドンにとって全てエネルギーの源になっていました。
「俺の実力が正しいことを証明するんだ」
「ブランドンは過大評価されている」というアンチの批判が間違っていることを証明するために、SNSで嫌味を言われる度に有酸素運動を延長したりして、自身のエネルギーに変換していました。
燃えたぎる情熱を胸に迎えた2018年のミスターオリンピア。
2015年から2017年にかけて、5位、4位、3位と一歩ずつ順位を上げてきており、ジンクス通りに行くと2018年は2位になるのではないかと多くの人が予想していました。
しかし、予想は外れました。
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ブランドンは他を寄せ付けない実力を見せつけ、4年間チャンピオンを守り続けたジェレミー・ブエンディアを破り、優勝したのです。
ジェレミーは怪我で万全の状態ではなかったにしろ、優勝は優勝です。
彼はずっと憧れていたチャンピオンになれて、まさに夢見心地でした。
そして、自分の実力を証明できたことに本当に満足していました。
2019年が始まってからはフィジーク王者として世界中から招待が届きました。
オーストラリア、インド、そして日本。
ブランドンは多くの国をめぐって、ファンからの自分に向けられる眼差し、握手をした時の心から喜んでいる表情を生で見て、チャンピオンになれて本当に良かったと思いました。
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色んな国で現地の食べ物を食べて、多様な文化に触れ、チャンピオンがどのようなものか身をもって経験しました。
しかし、2019年のオリンピアは刻一刻と近づいてきていました。
ブランドンが気付いた時にはもうすでに遅すぎました。
何とかオリンピアに間に合うように急ピッチでコンディションを合わせようとしましたが、結局間に合わず。
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2019年のオリンピアはチャンピオンの座から陥落し、4位というブランドンにとっては不甲斐ない結果に終わりました。
負けた事よりも自分のベストコンディションで大会に臨めなかったことが何よりも悔しいことでした。
オリンピアが終わった後は周りの人たちや、ジムで会った人たちから
「何かあったの?」
「なんで負けてしまったの?」
と聞かれることが増え、説明する度に悔しい思いをしてきました。
2019年のオリンピアのポスターにはフィジーク王者として大きく載っていた自分の写真も、2020年のポスターには自分の姿は載ってすらいませんでした。
「俺はチャンピオンだったのに」
4位という結果に終わったブランドンに対して、アンチからの批判も加速し、チャンピオンという言葉の持つ力の大きさを痛感しました。
「もうこんな思いはしたくない」
「2020年は100%のブランドン・ヘンドリクソンを見せるんだ」
ブランドンの2020年の目標はただ一つ、ベストコンディションでオリンピアに臨むことでした。
オリンピアが終わってからはオフシーズンでも余計な脂肪は付けず、常にリーンな食事を心がけていました。
3月に開催されたアーノルドクラシックでは惜しくもアンドレ・ファーガソンに敗れましたが、それもまたブランドンにとってはモチベーションになりました。
「俺が真のチャンピオンだ」
自分に何度も言い聞かせ、オリンピアまで1日も無駄にすることなく、フィジークのことだけを考えてきました。
そして迎えた2020年のミスターオリンピア。
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ブランドンは完璧すぎるフィジークで大会に臨み、チャンピオンに返り咲くことができました。
再びチャンピオンになれた事、そして100%のフィジークでオリンピアに出られた自分を心の底から誇りに思いました。
それでも2020年のオリンピアが終わった後、アンチからは
「偶数の年しか勝てないメンズフィジーカー」
などと言われましたが、ブランドンにはジンクスなど関係ありませんでした。
ブランドンは2021年のオリンピアでもチャンピオンになり、見事3度目のオリンピアチャンピオンになりました。
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2019年の反省を踏まえ、真のチャンピオンが1年間どのような振る舞いをするべきなのか学んだ結果でした。
そんな彼の目下の目標は一つです。
「メンズフィジーク最多となる5回のチャンピオンになる事」
もし仮に今年もブランドンが勝てば4度目のチャンピオンになります。
2023年には元王者であるジェレミーがオリンピアの舞台に帰ってくることを宣言しています。
そうすると2023年は5回目のタイトルをかけて、ジェレミーとブランドンの直接対決が実現するという超激熱展開が繰り広げられることになります。
そういった意味でも今年は何としてでもブランドンに勝ってほしいと思ってしまいます。
2022年、ブランドンが4度目のチャンピオンになれるのか注目ですね。
ブランドンの順位予想(番外編)
今回の記事ではブラジルのポッドキャストをメインの資料にして書いたのですが、そのポッドキャストの中でブランドンが今年のオリンピアの順位予想をしていました。
※ポッドキャストは2022年8月に配信されたものです。
1位 ブランドンヘンドリクソン(Brandon Hendrickson)
2位 エリン・バンクス(Erin Banks)
3位 カイロン・ホールデン(Kyron Holden)
4位 ディオゴ・モンテネグロ(Diogo Montenegro)
5位 ダニエル・アモンズ(Daniel Ammons)
1位から4位は順当だと思うのですが、5位にダニエル・アモンズの名前を挙げているのが意外でしたね。
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今年はテキサスプロでアンドレイ・リンカンを破り、タンパプロではアンドレ・ファーガソンを破っているため、今最も勢いがある選手と言っても過言ではありません。
ファーストコールでブランドンと肩を並べることができるのか注目ですね。
終わりに
以上がブランドン・ヘンドリクソンの人生についての簡単な紹介になります。
大学を卒業してからは何事もうまくいかず、人生に行き詰まる毎日が続きました。
「俺は人生で何をしたいんだろう?」
何か行動しないといけないと頭では分かっていながらも、何をすればいいのか分からなかった日々。
そんな中、偶然メンズフィジークという競技に出会い、人生が大きく変わりました。
今では誰もが認める最強のチャンピオンになり、多くの人たちがブランドンに憧れています。
彼は言います。
「トロフィー自体に意味はないし、フォロワーが多くても関係ない。選手として最も大切なことは『一日にどれだけの人の心を動かせたのか』ということなんだ。」
「トロフィーは選手として犠牲にしてきた日々、血と涙と汗を流してきたその過程を認めてくれるものだ」
彼はこれからもメンズフィジーク選手としての生き様を見せて、多くの人たちにインスパイアを与えてくれることでしょう。
引用元:
Brandon HendricksonBrandon Hendrickson Yamamoto Athlete BodybuildingBrandon Hendrickson — Complete Profile: Height, Weight, Biography – Fitness VoltBrandon Hendrickson is a Men's Physique bodybuilder and 2x Olympia champ. This is his profile, training split, diet, bio, and more.Brandon HendricksonFor many people, it’s not unusual to put on a few pounds or more after graduating from high school. For Brandon Hendrickson, it turned out to be about 70 pounds...How 2 Elite Athletes Strive to Lead Through FitnessTop physique athletes set a powerful example of how to live fearlessly and build yourself up. Here's how two world-class bodybuilders feel the benefit of fitnes...Brandon Hendrickson - Greatest PhysiquesBrandon Hendrickson is a professional Men's Physique competitor. He's been climbing up the IFBB ladder, ever since he won his Pro Card in 2013.ブランドンのインスタグラム↓
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