【Story of Builders】アレックス・カンブロネロ【第7回】

選手紹介

引用元:https://www.instagram.com/p/CZztqkRvMyE/

皆さんこんにちは。

第7回のStory of Buildersはアレックス・カンブロネロ選手(Alex Cambronero)です。

ローガン・フランクリンに続いて二人目のクラシックフィジーク選手になりますが、彼もまたクラシカルな美しいプロポーションの選手です。

彼について最も調べられていることと言えば、恐らくについてのことでしょう。

その怪我の原因についてはもちろんのこと、生い立ち、212からクラシックへ移行した経緯など細かく調べてきました。

ひたむきにオリンピアのチャンピオンを目指す姿勢はかっこいいと言わざるを得ません。

彼の人生のキーワードは「行動力」です。

ゴールをどこに定め、そのために何をするべきなのか。

彼の人生には成功するためのエッセンスが詰まっています。

 

目次

基本プロフィール

身長:約172cm(5.7ft)

体重:約87kg(大会時)

国籍:コスタリカ

生年月日:1976年10月19日

 

生まれ~IFBBプロになるまで

アレックス坊やは1976年10月19日にコスタリカ、リモン州で誕生しました。

幼い頃に両親は離婚して、母子家庭で育ちます。

3人兄弟の中でも特に活発だったアレックスは、幼い頃から空手水泳テコンドーなど様々なスポーツを経験させてもらいました。

そして、9歳の時に家族で首都のサン・ホセに引っ越したことをきっかけに、彼はBMXに出会い、すぐに心を奪われました。

しかし、BMXは初期費用が高いだけでなく、メンテナンス費も継続的にかかります。

母子家庭で経済的余裕があまりなかったアレックスには厳しい現実が直面します。

 

ここで諦めないのが彼のすごさです。

 

彼は家族に黙って、家から遠く離れたBMXの大会会場に自力で向かいました。

当時はとても可愛らしい顔をしており、それを自身も自覚して、武器にしようと考えました。

大会会場に着くなり、彼は急に泣き叫んだのです。

 

アレックス「BMXのレースに出たいのにお金がないんだ~!!」

 

それに気づいた周囲の大人たちが騒ぎ始めます。

 

大人たち「おいおい、子供が泣いてるぞ!」

 

騒ぎ立てる大人たちの中から、いかにもお金を持っていそうなマダムが彼に話しかけます。

 

マダム「あら坊ちゃん、どこから来たの?」

アレックス「サン・ホセから来ました、、、。」

マダム「サン・ホセ!?家族はどこにいらっしゃるのかしら?」

アレックス「家族はここにはいません、、、。」

マダム「一人で来たの!?あらま、大変だわ!」

 

結局このマダムはアレックスの活動を応援したいという事で、経済的支援をしてくれることになりました。

すべてアレックスの計算通りでした。

(何としたたかな子供でしょうか、、、笑)

しかし、彼はマダムへの感謝の気持ちを決して忘れませんでした。

その後出場した約10年間の大会では、他の選手にぶつかってこられない限りはずっと優勝し続けたそうです。

 

ようやくBMXを楽しめる環境を自身の手でつかみ取ったアレックスでしたが、悲劇に見舞われます。

 

BMXのレース中のことです。

 

彼はバク宙を試みようとしましたが、回転が足りず、頭から地面に落下してしまったのです。

不運にも彼はヘルメットを被っておらず、鎖骨と頭蓋骨を骨折という大怪我を負いました。

その際に、視神経の一部も損傷してしまいます。

その怪我が原因で、彼の視界は歪んでしまい、真っすぐ向いていると、二重に見えたり、ぼやけて見えたりします。

しかし、首を少し右側に傾けるとそれが解消され、ピントが合います。

そのため、彼はステージ上で首を傾けて、ポージングをしているのです。

首や、背骨の怪我だと勘違いしている人が多いですが、彼が首を傾けているのは目が原因です。

 

後遺症を負ってしまい、BMXから完全に離れるのかな、と思いきや彼はBMXに加え、モトクロスバイクも始めます。

(すごいバイタリティ、、、)

モトクロスを通じて友達も増え、一緒にジムに行くことになりました。

当時はバスケットボールもやっており、筋肉が欲しいと思うことはあまりありませんでした。

しかし、友人の「筋肉がつけば女の子からモテる」という甘い誘いに乗り、しぶしぶジムに行くことにしました。

また、イベントでバウンサー(用心棒)として働くこともあったため、あって困るものではなかったというのも一つの要因だったようです。

そしてジムに通うことになりますが、いまいちモチベーションが上がりません。

そんな時、ジムに置いてあるボディビル雑誌に気づき、何となくページをめくります。

「すごい体だな~」

雑誌に載っているボディビルダー達をなんとなく眺めていると、あるページを開いた瞬間に彼の身体に電流が走りました

 

その時こそが彼の人生のターニングポイントでした。

 

そのページに乗っていた人物は、伝説のボディビルダーロニー・コールマンでした。

 

 

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「この体になりたい!いや、この体の20%にでもなれればいい!」

彼のボディビルへの道はこの日から開かれました。

 

思い立ったが吉日。

彼はその日のうちにボディビル雑誌で、ロニーのトレーニングキャンプがないか必死に探します。

しかし、なかなか見つかりません。

落ち込む彼のもとに千載一遇のチャンスが訪れます。

ロニーの弟にあたるアレックス・コールマンがアレックスの住むマイアミ州に来るという情報を手にしました。
(ややこしくてすいません笑)

アレックス(カンブロネロ)はアレックス(コールマン)に突撃した結果、親交を深めることに成功しました。

当時はトレーニングを始めたばかりで細かったですが、このコネクションがのちに大きなチャンスを生むことになります。

 

ロニーの弟のアレックスと出会った数年後、彼らは再会することになります。

そして、コールマンはアレックス(カンブロネロ)の体の成長を見て驚きます。

アレックス・コールマン「こりゃ、すごい!大会に出るべきだよ!」

 

言われるがまま、アレックスはテキサス州で開かれる予定だったNPC主催のロニー・コールマン・クラシックに出場しました。

彼はノービス(初級者)のミドル級に出場しましたが、結果は38人中34位という惨敗でした。

急遽出ることになり、減量する期間が短く、ポージングも付け焼刃だったため当然の結果でした。

そのため、彼は大きく落ち込むことはなく、

「次は優勝するぞ~!」

といった様子だったそうです。

 

彼は宣言通り、翌年のダイアナ・カデウ・クラシックに出場し、クラス優勝、さらにはオーバーオール優勝ベストポーザー賞まで獲得しました。

 

リベンジを果たすべく成長したアレックスは2011年のロニー・コールマン・クラシックにも出場しました。

しかし、惜しくもコーリー・マシューに敗れ、ライトヘビー級で2位で終えました。

こちらが大会の映像です。(アレックスは83番)

アレックスの美しい骨格がひと際目を引きますね。

この時のライトヘビー級はかなりハイレベルで、トップ5はのちに全員IFBBプロになっています。

 

そして2013年、彼はIFBB North American Championshipsに出場し、クラス優勝し、IFBBプロカードを獲得しました。

ちなみに、この大会でオーバーオール優勝したのはアキム・ウィリアムズでした。

 

212からクラシックへ

2013年に念願だったプロカードを獲得したアレックスは212ポンド以下級の選手として活動を始め、翌年にさっそく大会に出場しました。(大会名は不明)

順位こそ良くなかったものの、彼は自分が目指している理想に近い体で大会に出ることができ、満足していました。

 

そして、翌年の2015年タンパプロに出場し、一気に順位を上げ、2位という結果になりました。

 

さらにその勢いのまま、同月に開催されたテキサスプロで優勝しました。

他の選手に比べるとウエストが圧倒的にタイトで、エステティックな体が評価された結果でした。

以下が彼の212のキャリアです。

2015  タンパプロ  2位
2015  テキサスプロ  1位
2015  オリンピア  12位
2016  トロントプロ  1位
2016  プエルトリコプロ  1位
2016  オリンピア  10位
2017  ニューヨークプロ  5位
2017  シカゴプロ  2位
2017  バンクーバープロ  7位
2018  ヨーロッパダラスプロ  1位
2018  オリンピア  8位

本格的にプロのキャリアが始まった2015年から2018年の4年間で、優勝した回数は4回です。

オリンピアも3回出場しており、12位→10位→8位と年々順位を上げています。

 

そんな彼がなぜ212からクラシックへ転向したのでしょうか?

彼が212の選手として出場した最後の大会が2018年のオリンピアでしたが、大会後の心境をこう語っています。

 

“I had nice shape and my condition was right on, but they were just bigger. I was competing at 193 pounds without struggling to make weight, while they were all killing themselves to get down to 212.”

「いいシェイプだったし、コンディションも良かった。ただ上位の選手のほうが大きかった。俺は193パウンドで出場していたからそこまでしんどいと思うことはなかったけど、他の選手はかなりしんどい思いをして減量していたんだ。」

 

アレックスはもともとオフシーズンに余分に脂肪を付けることはないタイプで、減量幅も小さい方でした。

一方、トップ選手たちはオフシーズンは250ポンドほどまで体重を増やし、そこから212ポンドまで減らさないといけません。

上限である212ポンドを超えると、そもそも大会に出場することすらできず、減量末期はかなりギリギリの栄養状態で過ごしている選手が多いです。

こういった選手たちと張り合うには、サイズをつけるという選択肢は避けられませんでした。

大会後の審査員のフィードバックでも「全体的にもっとデカく、特に脚を太くしないといけない」とよく言われていたのも事実です。

しかし、アレックスはどうしてもそれが受け入れられませんでした。

 

“I didn’t want to do that, because I knew there was a very real possibility that I would lose my tiny waist in the process.”

「それ(無茶な増量)はやりたくなかったんだ。現実的な可能性として、増量の過程で僕の細いウエストをなくしてしまうことが考えられるからね。」

 

こちらが2018年の212の選手たちの舞台裏です。

当時の王者だったフレックス・ルイスを筆頭にウエストが太い選手が多いです。

もちろん、ステージ上の映像ではないので、腹部に意識が向いていないという事もあります。

しかし、太いウエストはアレックスが考える理想的な美しさとは程遠いものでした。

 

アレックスの目指す理想の肉体に近いカテゴリーはどう考えてもクラシックフィジーク一択でした。

 

しかし、2016年にクラシックフィジークが正式なカテゴリーとして発足して以降、彼はクラシックへのカテゴリーの変更を全く考えていませんでした。

 

そんなさなか、2018年のオリンピアの解説だったダン・ソロモンショーン・レイ

「アレックスはクラシックのほうが向いている」

と発言したことをきっかけに、その後ファンからクラシックへの転向を熱望するメッセージが大量に届きます。

そこから、少しずつクラシックへの転向を考えるようになり、コーチのニール・ヒルと話し合い、クラシックフィジークの大会に出場することを決意しました。

 

クラシック選手として初めての大会は2019年のピッツバーグプロでした。

クラシック選手は212の重厚感がある選手と異なり、エステティックな体の選手が多く、アレックスにはもってこいのカテゴリーでした。

アレックスは初出場ながら、コンディションをバッチリ合わせ、見事に優勝しました。

 

ピッツバーグプロを境に、アレックスの快進撃が始まりました。

2019  ピッツバーグプロ  1位
2019  ニューヨークプロ  2位
2019  オリンピア  6位
2019  ヤマモトプロカップ  2位
2020  アーノルドクラシックUSA  1位
2020  オリンピア  4位
2021  アーノルドクラシックUSA  2位
2021  オリンピア  6位
2021  ハリケーンプロ  1位

2019年からは3年連続でオリンピアに出場し、すべてトップ6入りしています。

2021年もハリケーン・プロで優勝し、2022年へのオリンピアの出場権を手にしています。

 

しかし、転向した直後は、ボディビルファンの一部から

「カテゴリー変更は逃げだ」

「プライドはないのか」

などとネガティブな言葉を受けることもあったようです。

しかし、アレックスの目標はずっと変わっていません。

 

「オリンピアで優勝する」

 

カテゴリーが変われど、彼の意志は変わりません。

今年は自己ベストのトップ3位以内に食い込めるか注目です。

 

妻マギーさんの支え

アレックスの成功の裏には、妻のマギーさんの献身的な支えが必要不可欠でした。

2人は2003年にマイアミのサウスビーチで出会いました。

アレックスはコスタリカから、マギーさんはキューバからの移民で同じようなバックグランドを持った二人は、瞬く間に意気投合し、なんと出会って二ヶ月で結婚します。

 

マギーさんもアレックスと同じように、幼い頃からバスケットボール、ソフトボール、体操など様々なスポーツを経験していました。

そして、アレックスの後押しがあり、2010年頃からフィギュアの選手として活動しています。

そこから約1年8ヶ月後のNPC Junior National Championshipsのフィギュア部門のクラスAで優勝し、プロカードを手にしました。

アレックスはマギーさんに1年遅れてプロカードを手にしたわけですが、時には同じ大会にエントリーし、支え合って減量をすることもありました。

現在マギーさんは選手としての活動は行っていませんが、2人がオープンしたプライベートジムの経営に尽力し、経済的にアレックスを支えています。

 

終わりに

以上がアレックス・カンブロネロの人生についての記事になります。

自分の目標を達成するためには何が何でも掴みに行く、その行動力が彼の魅力です。

彼の人生には「言い訳」という概念が存在しません。

恵まれていないなら、人に助けてもらい、自分にできることを精一杯行う。

人生の成功の秘訣は意外とシンプルなのかもしれません。

言い訳を考える暇があったら、まず動きましょう。

 

引用元:

Alex Cambronero: Is He the Most Underrated Man in Classic Physique?
Musculardevelopment.com - The greatest selection of Hardcore Bodybuilding Articles, Contests, Workout videos, Community forums, Exercises, and Supplements to he...
Costa Rican Classic! | Former 212 Champ Alex Cambronero Is Killing It In Classic Physique
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ALEX (FELLO) CAMBRONERO, IFBB Pro Bodybuilder at BigBodies.com

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