【Story of Builders】ショーン・クラリダ【第11回】

選手紹介

引用元:https://www.instagram.com/p/CaZxyNDrBlP/

 

皆さんこんにちは。

第11回目のStory of Buildersはショーン・クラリダ(Shaun Clarida)選手です。

小柄な体で、数十キロも体重が重い選手たちを倒していく姿は彼のあだ名“Giant Killer”そのものです。

歴代のボディビルダーにもダニー・パディーラデイビッド・ヘンリーなど偉大なジャイアントキラーがいましたが、彼はその面々に負けないほどの素晴らしい成績を収めてきています。

 

小柄が故に、悩み、苦しんだ日々もありました。

それでも、周りからの非難や冷たい言葉にも負けず、自分を信じる事で道を切り開いてきました。

彼がいかにしてボディビルと出会い、それと向き合ってきたのか。

早速彼の人生をのぞいてみましょう。

 

目次

基本プロフィール

身長:約158cm(5.2ft)

体重:約80kg(大会時)

国籍:アメリカ合衆国

生年月日:1982年9月5日

 

生まれ~ボディビルに出会うまで

ショーン坊やは1982年9月5日、アメリカ合衆国ニュージャージー州はハッケンサックで生まれます。

比較的裕福な家庭に育ち、仲良しの兄弟に囲まれながら幼少期を過ごします。

小さい頃はスポーツ大好き少年で、野球をはじめ、バスケットボールレスリングなど様々なスポーツを経験しました。

 

たくさんのスポーツを経験した中でも、レスリングは彼にとって戦いやすいスポーツでした。

野球とバスケットボールはどうしても体格が大きい選手が活躍しやすい側面がある一方で、レスリングは体重別でカテゴライズされているため、近い体格の選手と戦うことができます。

そのような点で、彼はレスリングが最も続けやすいスポーツでした。

しかし、レスリングで体を目いっぱい動かして、たくさんご飯を食べてもなかなかショーンの身長は伸びませんでした。

周りの同級生の体が大きくなっている一方で、ショーンは身長が伸び悩み、高校生の時に158cmで成長が止まってしまいました。

 

(高校3年生の時のショーン)

さらに、当時は体重が44kgしかなく、今の体からは想像ができないほど細い体でした。

そういったことも影響してか、彼は学校でイジメの対象になります。

自分よりも体が大きい生徒たちから、ひどい仕打ちを受けており、憂鬱な学生生活を送っていました。

しかし、イジメを受けながらも、心の中には一つの確固たる気持ちが芽生えていました。

 

「いつか見返してやる」

 

ショーンは強くなって、絶対に見返すという誓いを立て、高校を卒業しました。

 

その後はコミュニティカレッジに2年間通い、地元のライダー大学に入学します。

 

入学後は、レスリング部に所属し、学問と部活に奔走する日々でした。

レスリングでは56kg以下級で大会に出ていましたが、当時彼の体重は49kgしかなく、上限の体重にかなり余裕がありました。

(余談ですが、彼の大学のチームメイトにはUFCのニック・カトーン(Nick Catone)という選手がおり、もしボディビルダーになっていなければ、彼のようにMMAの選手を目指していたそうです)

 

他のチームメイトは必死でサウナに行ったり、有酸素運動をして体重を削っているさなか、ショーンは体重を増やさないといけない状況でした。

そんな彼を見かねて、コーチはショーンを半ば強制的にジムに通わせることにしました。

 

実はショーンは筋トレ自体は初めてではなく、父親のオフィスにダンベルなどが置いてあり、こっそりトレーニングをしたことはありました。

しかし、全く知識がなかったため、何となくやっていた程度で、体は一切変わることはなく、それ以来の筋トレでした。

 

コーチからは週に5回通うように言われました。

未知の領域だったため、続くか不安でしたが、「レスリングのためだ」と自分に言い聞かせ、しぶしぶ指示通りに通っていました。

すると少しずつですが、体の変化に気づき始めます。

 

 (当時21歳のショーン)

筋肉が付き始めたことで、体重も増え、自信もついてきました。

 

そんな彼に運命の出会いがありました。

ジムに通うことが日常生活の一部になり始めた時のことです。

ジムで黙々とトレーニングを続けているところに一人の男性が近寄ってきました。

その人物は1970年代にニュージャージー州でアマチュアのボディビルダーとして活躍したトム・カルーバ(Tom Caruba)という人物でした。

彼はショーンの体にボディビルダーとしてのポテンシャルを感じ、ショーンに話しかけてきたのです。

彼は現役だった時の大会映像や優勝した時のトロフィーなどを見せてくれました。

当時は全くボディビルというものについて知らなかったショーンは

「かっこいいな~」と思いつつも、実際に自分がやろうとは思いませんでした。

しかし、何度もトムに強く説得された結果、父親譲りの闘争心があるショーンに火が付き、大会に出ることを決めました。

 

その時こそが彼の人生のターニングポイントでした。

 

3か月もの間、ハードなトレーニングに加え、質素な減量食、さらにはレスリングの練習、大学の講義など様々なものを同時にこなしながら乗り越えました。

大会はNPC主催のミッドアトランティック・ナチュラルクラシックという大会でした。

 

大会は5位というまずまずの結果で終わりましたが、結果よりも彼はもっと大きなものを手に入れました。

 

彼はボディビルに恋したのです。

 

ボディビルの大会までに至る増量、そして減量、ステージに出るまでのパンプアップなどそのプロセスが彼にとっては楽しさ以外の何物でもありませんでした。

あまりにもボディビルが楽しかったためか、彼は初出場の大会のすぐ後に控えた大会にも出場し、結局1か月で3回も大会に出るほど熱中していました。

 

アマチュア時代~IFBBプロになるまで

そうして筋トレ、そしてボディビルという生き甲斐に出会ったショーンは、大会出場から約3か月後レスリング部を辞め、ボディビルに専念することにしました。

彼はその後、INBFというナチュラル(ドーピング未使用の選手)団体に出場することにしました。

2005年にはワールドチャンピオンシップでいきなり3位に入り、着実に実力をつけていきました。

さらに2006年には、出場した3つの大会を全て優勝し、圧倒的な実力を見せつけました。

その内の一つは前年に3位になったワールドチャンピオンシップで、この大会でオーバーオール優勝したことで、彼はINBFのプロ団体であるWNBFの選手に所属する権利を獲得しました。

こちらがその時の映像です。

当然現在の体よりも小さいですが、当時からコンディションはピカイチだったみたいですね。

ちなみに彼のあだ名である“Giant Killer”が誕生したのもこの大会でした。

彼の友人であるクラレンス・マクギル(Clarence McGill)のクライアントが同大会のヘビー級に出場し、優勝しました。

そのクライアントとショーンはオーバーオールで対戦し、見事にショーンが勝ちました。

大会後のバックステージでクラレンスが

「優勝おめでとう!ヘビー級の選手を倒しちゃうなんて君はまさにジャイアントキラーだね!」

と言ってくれたことがきっかけで、それが現在まで続いています。

 

話は戻りますが、翌年の2007年以降はWNBFのプロ選手として大会に出場し、2007年から2010年までの4年間は全ての大会で3位以内に入り、素晴らしい実績を残しました。

WNBFの選手として活躍する一方で、様々なボディビルダーと交流を深め、他の団体や、他の団体の選手も知り始めました。

数ある団体の中でも彼はIFBBにひと際目を引かれました。

圧倒的に華やかなステージ、演出、そしてハイレベルな選手たち。

この人たちと同じステージに立ちたいと思い始め、彼は今度はIFBBプロを目指すことにしました。

 

その中でも彼にとってアイドルだったのがデキスター・ジャクソン(Dexter Jackson)でした。

 

他の選手紹介の時にも、尊敬している選手でデキスターの名前を挙げる選手が多く、彼が後世に与えた影響力の大きさを感じます。

デキスターもショーンと同じような境遇を経験していました。

デキスターはオープンカテゴリーにおいては、身長が比較的低く、180cm近いトップ選手が多い中で

「身長が小さすぎて話にならない」

「小柄だから、他の選手よりも美しさに欠ける」

など、多くの批判を浴びていました。

しかし、そういった批判を実力でねじ伏せ、歴代のボディビルダーの中で群を抜いた成績を収めることに成功しました。

 

ショーンは選手として活動する中で、デキスターと同じような批判を受けることが多く、彼を重ね合わせ、自分を奮い立たせていました。

そんな尊敬する人物といつか同じ舞台に立つために、彼は人生で初めて出場した団体のNPCでプロカードを目指します。

彼がNPCに移行するにあたって、IFBBプロになるための手順などを教えてくれた人物の一人が、212の一流選手だったホゼ・レイモンド(Jose Raymond)でした。

 

 

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ホゼの協力もあり、彼はNPCの大会でも素晴らしい成績を収め続けました。

出る大会ほとんどで優勝し、同じ階級の選手でショーンに勝てる選手はほとんどいませんでした。

そして、NPCに移行した1年後の2012年にはNPC Nationalsバンタム級で優勝し、瞬く間にIFBBのプロカードを手にしました。

 

多くの人たちの支えがあり、成し遂げることができた事でしたが、何よりも大きかったのは諦めなかった彼の姿勢です。

人より目立ってしまうとポジティブな意見に加え、一部のネガティブな意見も散見されるようになります。

それに屈することなく努力を続けた彼の精神力があってこその成果でした。

“Prove myself right”

「俺が正しいと証明する」

これが彼が常々自分に投げかけていた言葉です。

周りの人たちから批判的なことを言われようと、それが間違いであって、自分のビジョンが正しいと証明することが彼にとっての大きなモチベーションでした。

 

IFBBプロとしての活躍

プロになってからもアマチュア時代と同様に心無い批判をしてくる人たちがいましたが、彼には明確なビジョンがありました。

「オリンピアで優勝する」

これが彼がずっと描いていたビジョンでした。

そのためにどのようなステップを踏んでいくか考え、コーチとともにIFBBプロとしてのキャリアを歩み始めました。

 

彼が最初に出場したのが2014年のニューヨークプロでした。

2012年にプロになり、2013年は丸々1年間バルクアップに焦点を当て、2014年ようやく待ちに待ったデビューでした。

 

大会の結果は21人中13位でしたが、彼はプロとしてデビューできたことに感銘を受けました。

大会では最も軽い69kgでしたが、それでも戦えることを証明できたことが彼にとって何よりも嬉しい収穫でした。

そして、いつかはこのデビューしたニューヨークプロで優勝できるほどの実力をつけると誓い、大会を後にしました。

以下が、デビュー戦から2019年までの彼の成績です。

2014 トロントプロ 12位
2015 ニューヨークプロ 7位
2015 オリンピア 16位(最下位タイ)
2015 プエルトリコプロ 2位
2015 トロントプロ 2位
2015 バンクーバープロ 1位
2016 アークティックプロ 4位
2016 ニューヨークプロ 3位
2016 オリンピア 13位
2016 プエルトリコプロ 2位
2017 ヨーロッパ・ダラスプロ 1位
2017 ニューヨークプロ 2位
2017 オリンピア 9位
2017 フェニックスプロ 2位
2018 ニューヨークプロ 1位
2018 オリンピア 7位
2019 オリンピア 3位

キャリア後半は安定した成績を収めているのが分かると思います。

また、彼は宣言通りニューヨークプロに毎年出場し、年を追うごとに7位3位2位と順位を上げ、2018年に遂に念願だった優勝を果たすことができました。

さらには、ニューヨークプロと同様にオリンピアでの成績も最下位タイから13位9位7位3位と着実に順位を上げていきました。

2019年に3位になったときは、強い悔しさと同時に「来年は勝てる」という手応えを感じ、大会後、そのまま背中のトレーニングに向かいました。

彼はこう言います。

“I absolutely feel getting that stage experience and learning as you go was important. Traveling to different shows, meeting different competitors, talking to different judges, all helped me tremendously. “

「俺はステージで経験を積み、学び、進むことが重要だと思っている。様々な大会に出場し、色んな選手たちに会って、色んなジャッジと話すこと、その全てが俺にとって、とてつもなく大きな助けになったんだ。」

口だけでなく、大会に出場し、フィードバックをもらうこと。そして大会後の映像を見て、上位選手と比較した時に、自分に何が足りなかったのか考える時間。

それらが彼は重要だと考えています。

この考え方はトップ選手に共通するもので、ジャッジを批判するだけでなく、ジャッジの意見を受け入れ、改善しようとする姿勢が必要だとショーンは考えています。

 

ショーンはオリンピアでトップ5に入ったことで、自動的に翌年のオリンピアの出場権を獲得しました。

つまり、1年の大半をバルクアップに充てることができるということです。

彼は前年のオリンピアのフィードバックでは

「コンディションやポージングは完璧だ。あとはサイズだけが課題だね。」

とジャッジから言われていました。

サイズを増やすために彼は毎日全力でトレーニングに励み、特に弱みと言われた胸の上部などを重点的に鍛えました。

もちろん食事も一切手を抜かず、とにかく勝利のために徹底的にできることを全てやり尽くしました。

某ウイルスのせいでジムが次々に閉鎖していった時は、ボクサーの友人に頼み込み、プライベートジムを貸してもらい、そこでトレーニングしていました。

ジムにはマシンや、ケーブルなどはなく、あったのはダンベルとバーベルのみでした。

そんな環境下で、彼はドリアン・イェーツロニー・コールマンなどの偉大なボディビルダーたちを思い浮かべ、彼らが行ってきたBIG3を基本としたトレーニングを続けていきました。

 

 

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見事にそれがショーンにハマり、確かな成長を感じながら、言い訳をすることなく日々鍛錬を続けました。

 

そして迎えた2020年のオリンピア。

1年間の努力の末に、彼は前年のオリンピア出場時よりも約4kg近い増量に成功しました。

「たった4kgかよ、、、」

と思ったそこのあなた!

彼にとってこの4kgは死ぬほど努力して得たものであり、4kgの増量でも158cmのショーンでは見た目のインパクトに大きな差が出ます。

 

彼にとって最大のライバルは前年度優勝したカマル・エルガーニでした。

カマルも連覇を狙っていたため、昨年以上のコンディションとサイズを大会に持ってきました。

しかし、それを上回る衝撃を与えたのがショーンでした。

素晴らしいコンディションに加え、昨年以上の密度がある体をステージ上で見せ、観衆とジャッジを驚かせました。

しかし、プレジャッジが終わった時点では、カマルが1ポイント差でリードし、彼の連覇が有力視されていました。

ショーンもステージ上でジャッジからその印象をひしひしと感じていました。

 

しかし、彼は決して諦めていませんでした。

 

ファイナルジャッジまでにできることを最大限行い、絶対に優勝するという強い意志を持って、ファイナルに臨みました。

今までの努力、犠牲にしたもの、周りの人たちへの感謝、色々な感情が頭の中を駆け巡りました。

5位から順に呼ばれて行き、最後にカマルとショーンが残りました。

そして、最後に優勝者の名前が呼ばれました。

 

2020年のオリンピアの212ポンド以下級は遂にショーンが優勝しました。

ファイナルではショーンが1ポイントだけカマルを上回り、逆転優勝を果たすことができました。

 

思い返すと、これまで自分のことを一番強く信じてくれたのは他ならぬショーン自身でした。

「そんな小さい体じゃオリンピアで優勝なんかできない」

「212ポンド以下級なのに170ポンドで勝とうなんて無理に決まっている」

冷たい言葉を浴びせられながらも、「俺ならできる」とひたすら自分を鼓舞してきました。

そして得た世界一の称号

これまでの努力が報われた瞬間でした。

残念ながら、ショーンは2021年のオリンピアでは若き才能デレク・ランスフォードに敗れましたが、その敗北は間違いなくショーンの闘争心に火をつけたでしょう。

2021年のリージョンスポーツではオープンカテゴリーで20kg以上体重差がある選手たちをなぎ倒し、優勝しています。

つまり、2022年のオリンピアは212ポンド以下級オープンカテゴリー両方の出場権を持っているということです。

オリンピアが残り3か月になった現在も彼はどちらに出場するか明言していません。

王者を奪還するために212に出場するのか、それとも新たな挑戦を始めるべくオープンに出場するのか、今後の彼の動向に注目ですね。

 

終わりに

以上が、”Giant Killer”ことショーン・クラリダの人生についての簡単な紹介になります。

選手活動を続ける上で、避けては通れない非難の声。

そういったネガティブな声に対して、彼は実力でそれが間違いであることを証明し続けてきました。

“NO PLAN B”

これが現在の彼のモットーです。

プランB、つまり万が一負けた時のことを考えてしまっている時点で勝つ事はないということです。

何かを始めよう、挑戦しようと思ったときに

「大成功するPLAN Aだけを想像する」

それくらいの気概がなければ、挑戦はうまくいかないと彼は考えています。

周りの人たちから何を言われようと、そういったことには耳を傾けず、最後まで自分を信じ続け、PLAN Aがうまくいくように努力をする。

このマインドセットがあったからこそ彼は王者になれたのでしょう。

皆さんも、挑戦する自分の最大の味方は自分であることを忘れないようにしましょう。

 

引用元:

Shaun Clarida – Complete Profile: Height, Weight, Biography – Fitness Volt
Shaun Clarida profile that includes his personal stats, early life, career, training, diet, and more. Learn more about the 212 Olympia champ.
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