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皆さんこんにちは。
第24回のStory of Buildersはウルス・カレシンスキー(Urs Kalecinski)選手です。
2021年のミスターオリンピアのクラシックフィジークに初出場し、いきなり4位という偉業を成し遂ました。
彼の驚くべきポイントは何と言っても年齢です。
この記事を書いている時点で彼の年齢はわずか24歳で、2021年のオリンピアの時点ではまだ23歳でした。
2021年のTOP5はブレオン・アンズリー以外は20代だったとは言え、その若さには驚きを隠せません。
では、オリンピアに出場するまでにどのような軌跡を辿って来たのか。
彼はボディビルダーになるべくしてなったような興味深いバックグラウンドを持っていました。
目次
基本プロフィール
身長:約180cm
体重:約95kg(大会時)
国籍:ドイツ連邦共和国
生年月日:1998年4月30日
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生まれ~ボディビルダーになるまで
ウルス坊やは1998年4月30日、ドイツはバーデン=ヴュルテンベルク州で誕生しました。
家族構成は父親、母親、長男、次男、そして三男ウルスの5人で、ウルスは豊かな自然に囲まれながらすくすくと成長しました。
父親はポーランドにルーツを持っており、1980年代に重量挙げの選手として活躍し、オリンピックにもポーランド代表として出場した経験がある素晴らしい才能の持ち主でした。
また、母親は若い頃はバレリーナとして仕事をしており、ウルスは母親からは細いウエストの遺伝子を受け継ぎました。
重量挙げとバレリーナは全く共通点がないように見えます。しかし、その両方の強みを活かせる競技が1つだけありました。それがボディビルです。
ボディビルは筋肉の大きさはもちろんの事、いかに体を美しく魅せる事ができるかがカギになります。
重量挙げ選手とバレリーナの血を受け継いだウルスには、ボディビルという競技が打ってつけでした。
しかし、幼い頃から筋トレを始めていたわけではありません。
彼は小さい時から父親のトレーニングセンターには付いて行くものの、特に体を鍛えることはしませんでした。
ただ、そのトレーニングセンターには彼の心を奪う写真が壁に飾ってありました。
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その写真がこちらです。
そうです。ミスターオリンピアで最多タイの8回の優勝記録を誇るレジェンドボディビルダー、リー・ヘイニー(Lee Haney)の写真です。
彼は6歳の頃にこの写真を見て
「最高の体だ、、、。大人になったら僕もこんな風になりたい!!」
と思っていたそうです。
その時点で普通の子供たちとは違ったセンスを持っていたのが分かりますね。
では、そんなウルスはいつから筋トレを本格的に始めたのか?
それは彼が高校生になってからでした。
10代になってからブレイクダンスを始めたウルスでしたが、食生活が乱れた結果、体に脂肪が付き始めてしまいました。
そのためヘッドスピンなどの技が自由にできなくなり、ブレイクダンスに支障が出てしまったため痩せる決意をしました。
痩せるために始めたのが筋トレでした。
最初に筋トレに誘ってくれたのは長男のセルゲイでした。
彼は体操競技のプロ選手として活躍しており、そのトレーニングの一環として筋トレをしていました。
そのため、ある程度筋トレに関しての知識があり、ウルスに指導してくれるとの事でした。
体が引き締まった兄は女の子にもよくモテていたため、それに対する憧れもありました。
(少し太り気味のウルス)
しかし、彼らのトレーニングはまさに破天荒でした。
彼らがやっていたのは「ジムに設置してあるマシーンをそれぞれ1セットずつトレーニングして全身を鍛える」という方法でした。
筋トレに正解はありませんが、一般的なトレーニング方法とはかけ離れており、決して効率的と言えるものではありませんでした。
さらに驚くべきことに彼らは1回のトレーニングに4時間以上かけていました。
栄養も兄から指導を受けて意識していましたが、当時はただ筋トレが楽しくて夢中になっていただけでした。
その結果、彼は短期間でナチュラルのまま25kgの増量に成功し、兄のようなかっこいい体を手に入れることができました。
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効率的な方法でなくても筋肥大できたのは彼の遺伝的な才能があったからに他なりません。
彼自身もその自覚があり、明らかにジムの他の会員よりも成長が早いことに気づいていました。
そんなウルスに目を付けたのが当時通っていたジムで最年長だったポールでした。
「俺が大会までトレーニング方法とか食事の基本的な知識、減量方法まで全部教えるから大会に出てみないか?」
彼はボディビル大会に何度も出場したことがあるベテラン選手で、無償での指導をウルスに申し出てくれました。
以前からボディビル雑誌を読んでおり、ボディビルに関心があったウルスは二つ返事でその申し出を承諾しました。
彼が出場したのは2016年のGNBF(German Natural Bodybuilding & Fitness)のInternational Newcomer Championshipsでした。
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初めての減量に戸惑いながらも大会に出場し、4位という結果に終わりました。
結果に満足することはありませんでしたが、彼は大会の雰囲気や減量までの過程に楽しみを見出し、これからも大会に出たいと思うようになりました。
IFBB PROになるまで
初出場を経て、彼のボディビルへの熱意はさらに高まっていきました。
同年には同じくGNBF International German Championshipsのジュニア部門にエントリーし、初の全国大会にして6位という素晴らしい結果を出しました。
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この時にはすでにボディビルの虜になっていました。
しかし、今の体ではまだ大会で勝てる実力がないと踏み、2017年はバルクアップに専念しました。
1年間、トレーニングから、食事、睡眠の質、ストレスレベル、社交性など24時間すべての行動をボディビルダーとしての意識を忘れることなく過ごしました。
全ては大会での勝利のビジョンを実現させるためでした。
そして成長して帰ってきた2018年。
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ウルスはANBF(Austrian Natural Bodybuilding Federation)の大会に出場し、ジュニア部門優勝、85kg以下級優勝、オーバーオール優勝、ベストポーザー賞の4冠を成し遂げ、完全優勝を果たしました。
今まで1年間必死に取り組んできた事が報われた瞬間でした。
その優勝を経験したことで、自信がつき、IFBB PROという目標を意識するようになりました。
そこから彼は国際大会へ向け、約1年間大会に出場することなくサイズを大きくしていきました。
そして、ANBFから約1年後の2019年10月。
彼はイギリスで開催されたオリンピアアマチュアに出場しました。
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結果は4位でしたが、初めての国際大会で自分の実力が通じたことを誇りに思い、彼はさらに挑戦を続けました。
オリンピアアマチュアの僅か1週間後。
次はハンガリーのブダペストで開催されたフィットパレード2019に出場しました。
もちろんこの大会もプロカードが掛かった大切な一戦でした。
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結果は惜しくも2位でした。
あと一歩のところまでは来ているのに、その一歩が遠く、手が届きませんでした。
しかし、彼は決して諦めていませんでした。
描いたビジョンを実現させるためにウルスはさらに挑戦を続けました。
フィットパレード2019から約2週間後。
彼はさらに続けてアイスランドオープンに出場しました。
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そこで見事に優勝し、遂にIFBB PROカードを獲得することができたのです。
多くのプロ選手はアマチュア時代に無双して、プロになってから苦労することが多いですが、ウルスの場合は逆でした。
彼のIFBB PROとしての活躍を見る限りでは、とんとん拍子で容易くプロになっているというイメージがありました。
しかし、実際は1か月で3大会出場という無謀な挑戦を経て掴んだ結果でした。
もちろんこれは彼の力だけで成し遂げられた結果ではありません。
その陰には家族、コーチ、スポンサーなど多くの支えがありました。
その中でもウルスにとって次男カイの存在は大きな心の支えになっていました。
カイはウルスが出場する大会のほとんどに同伴し、ずっとウルスの近くで身の回りの世話をしてくれていました。
大会では常にウルスにポジティブな言葉を投げかけてくれるカイは必要不可欠な存在でした。
カイはウルスがIFBB PROになった現在も支えてくれるキーマンとして活躍してくれています。
IFBB PROとしての活躍
念願のIFBB PROになれたウルス。
ほっと一息ついているところに、とある人物から連絡が来ました。
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皆さんご存じ、ドイツの英雄デニス・ジェームスです。
複数回オリンピアに出場し、2003年のオリンピアでは4位に入賞したことがある有力選手です。
現在はポッドキャストやSNSを通じて多くの選手と関わりを持ち、情報発信に力を入れています。
そんな彼からの連絡でした。
「大会優勝おめでとう!ところで、来週Dennis James Classicがドイツで開催されるけど、出場してみないかい?」
なんと彼からの連絡は大会の誘いだったのです。
もし、この大会に出場するとなると5週間で4大会出場というとんでもないスケジュールになります。
デニスの連絡に対してウルスは
「大会には出てみたいと思うんですが、今の筋肉量だったら最下位になるかもしれないので、ちょっと、、、」
と自信なさげに返信しました。
しかし、ポジティブマンのデニスからは
「大丈夫大丈夫!!クラシックフィジークは筋肉量だけが問題じゃないし、君のプレゼンテーションなら絶対に通用するから!信じてくれ!」
と励ましの言葉をかけられました。
とは言え、すでに体は疲弊しており、一刻も早く体を休めたいと思っていました。
しかし、自分の実力がプロでどの程度通用するのか知りたいという気持ちがあったのも事実です。
悩みに悩んだ結果、彼は大会に出場することに決めました。
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結果はウルスの予想に反して、初出場で2位に終わりました。
この結果には誰よりもウルス自身が驚きました。
「まさか2位になれるなんて!俺の体はIFBB PROで通用するってことか!!」
ウルスは確かな手応えを感じ、この大会を通じて大きな自信を得ました。
しかし、まだまだ筋肉量が足りないと感じ、彼はそこからひたすらバルクアップに励みました。
ちょうど2020年はアレの影響で、大会が次々に中止や延期になっていた時期だったので、バルクアップには最適なタイミングでした。
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バルクアップ中も無駄な脂肪は付けず、リーンな食事を意識して過ごしました。
そしてデニスジェームスクラシックから約1年8カ月後の2021年7月。
遂に彼は大会に出場することを決めました。
彼が出場したのはメキシコで開催されたXtreme Bodybuilding&fitness proでした。
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ベストを尽くしたものの、結果はまたもや2位でした。
スコアカードを確認したところ、1位の選手とは僅か1ポイント差で、悔しい結果に終わってしまいました。
しかし、ステージ上では他の選手に筋肉量で負けているという印象はなく、成長した実感を得ました。
大会後ドイツに引き返すか迷いましたが、ウルスにはまだ戦える気力が残っていたため、2週間後に控えていたアメリカのタンパプロに出場することにしました。
大会後は1食だけ好きなものを食べ、そこからは体のコンディションを保って2週間過ごしました。
そして迎えたタンパプロ。
クラシックフィジークには38名のエントリーがあり、熾烈を極める戦いが待っていました。
出場選手の多くはアメリカ人で、彼らのほとんどは大人数でチームを組んだり、スポンサーの協力を得て大会に臨んでいました。
そんな状況を見て弱気になりそうになる中、ウルスは次男カイと二人で大会に乗り込みました。
「大丈夫、お前ならやれるから」
カイはウルスをそばで励まし続けてくれました。
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カイの言葉に励まされ、ウルスはステージ上で自信に満ちたプレゼンテーションを披露し、見事にタンパプロで優勝したのです。
父親譲りの筋力を駆使してバルクアップし、母親から指先まで神経を行きわたらせる美しいポージングを学び、心強い兄のバックアップを受けながらつかんだ勝利。
彼の優勝は家族の力で手にしたものでした。
IFBB PROでの大会はオリンピアへの切符を意味します。
ウルスはオリンピアまで残された2か月間で、チャレンジャーとしてベストを尽くしました。
そして迎えたオリンピア当日。
今まで動画で見てきた有名な選手たちがずらりと並ぶ光景はウルスにとって夢のようでした。
しかし、今までアイドルだった選手たちがライバルになった瞬間でもありました。
オリンピアではピークを合わせることに成功し、過去最高のコンディション、過去最高のパッケージでステージに臨みました。
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その結果、彼はオリンピア初出場ながら4位という素晴らしい成績を残しました。
誰もがその結果に驚きました。
もちろんタンパプロで優勝したことで名前は多少知られていましたが、彼がトップ4に食い込むことをほとんどの人は予想していませんでした。
しかし、4位に入り込んだのは紛れもなく彼の実力です。
彼より下位でも筋肉量で上回ってる選手はいました。
ただ、クラシックフィジークは筋肉量だけではなく、ステージ上での演出が大切です。
写真を見比べて筋肉量の優劣を決めるの簡単ですが、クラシックフィジークは写真の比較だけではその選手の評価はわかりません。
ウルスのステージ上での細部までこだわったプレゼンテーションは目を引くものがありました。
そういったことが評価されての結果だったのでしょう。
この結果を受けて、彼はあっという間に世界最高峰のクラシックフィジーク選手として認知されるようになりました。
そして、2022年3月の1週目にアーノルドクラシックに初出場し、テレンス・ラフィン、ラモン・ディノに続き3位に入賞しました。
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その勢いのまま、3月2週目に開催されたボストンプロで優勝しました。
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ウルスの勢いは止まりませんでした。
続けざまに3月の3週目にはクウェイトプロに出場し、この大会でも優勝を飾ったのです。
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恐らくアーノルドクラシックから3連続優勝する計画だったのでしょう。
しかし、彼は2連続優勝という素晴らしい結果を出し、ボディビル業界に大きなインパクトを与えたのは事実です。
アーノルドクラシックの時点では2021年のオリンピアから約2kgの増量に成功し、より良いコンディションで大会に臨めていました。
さらにそこから2022年のオリンピアまで約9カ月の期間が空いています。
2021年のオリンピアでは体重制限まで残り6kgほど余裕が残っていました。
1年間でどれほど筋肉量を増やすことができたのか。
オリンピア当日の彼のフィジークが待ち遠しいですね。
終わりに
以上がウルス・カレシンスキーの人生についての簡単な紹介になります。
ぽっちゃりした体を変えるために軽い気持ちで始めた筋トレ。
その結果、父親のパワーと母親のしなやかさを譲り受けたウルスはメキメキと成長し、ボディビルというポテンシャルを最大限活かせる競技に出会いました。
兄から支えてもらいながら必死に挑戦を続け、2021年には23歳という若さで世界4位という偉業を成し遂げました。
そんな彼の今年の目標。それはもちろん優勝です。
圧倒的王者クリス・バムステッドの牙城を崩すことができるのか。
ウルスの今年の躍進に注目です。
引用元:
https://www.team-andro.com/urs-kalecinski-gnbf-gesamtsieger-mr-olympia-teilnehmer.htmlhttps://supplement-bewertung.de/urs-kalecinski/Supplement-NewsNewsportal für Nahrungsergänzungen & Fitness