【Story of Builders】ハンター・ラブラダ【第23回】

選手紹介
  1. 引用元:https://www.instagram.com/p/CU7tkPrAA7B/?utm_source=ig_web_copy_link

 

皆さんこんにちは。

第23回のStory of Buildersはハンター・ラブラダ(Hunter Labrada)選手です。

2021年のミスターオリンピアでは4位に入り、ボディビルファンの度肝を抜きました。

彼は言わずと知れた伝説的ボディビルダーリー・ラブラダ(Lee Labrada)の息子として有名です。

父のリーは1987年から1993年のミスターオリンピアに7年連続で出場し、いずれの年も4位以内に入賞しています。

息子のハンターは父親とはまた違った現代的な体をしていますが、ポージングに関しては父親譲りの素晴らしいパフォーマンスを披露しています。

しかし、当初リーはハンターにボディビルダーになってほしいとは思っていませんでした。

それは何故なのか。

そして、現在世界のトップで活躍できる彼の秘密とは。

彼の人生に迫ります。

 

目次

基本プロフィール

身長:約175cm

体重:約116kg(大会時)

国籍:アメリカ合衆国

生年月日:1992年3月17日

 

 

生まれ~ボディビルダーになるまで

ハンター坊やは1992年3月17日アメリカはテキサス州トンボールで誕生しました。

「ハンター」は父親の高校時代の親友からとった名前で、父親から名づけられました。

母親のロビンは身長が180cmほどある高身長で、ハンターがまだ赤ちゃんだった頃は母親に連れられて、リーの大会を応援しに行っていました。

しかし、赤ちゃんなので当然その時の記憶はありません。

時にはリーが優勝した後にステージに連れて行かれ、ステージ上で抱きかかえられることもありました。

リーはロビンから

「絶対に落とさないでね!!」

とだけ伝えられており、ハンターは物心がつく前からIFBB PROのステージに立っていたのです。

 

その後、リーは1995年にボディビルを引退することになりますが、その時ハンターはまだ3歳でした。

そのため、ハンターは父親にボディビルというイメージは一切なく、Labrada Nutrition(リーが設立したサプリメント会社)のCEOというイメージしかありませんでした。

ではどのような経緯で父親がボディビルダーだと知ることになったのか。

それは「知らない人たちが父親のことをなぜか知っている」という不思議な現象が何度も起きたからです。

普通に外を歩いていると

「リー・ラブラダだ!本物じゃないか!」

などと指をさされ、握手を求められている姿を何度も見ていました。

また、リーがアーノルドクラシックのような大きな大会に出向くと、瞬く間に30人ほどに囲まれ、サインや写真を求められていました。

そのような出来事が重なり、父親の前職がボディビルダーであるということを知ることになりました。

 

では、ハンターは子供の頃からボディビルの英才教育を受けていたのか。

答えはNOです。

小学生の時はホッケーに熱中し、週に5、6回練習していました。

当時は父親からウェイトトレーニングの指導を受けることは特にありませんでした。

 

中学校に上がってからは、高校卒業まで6年間アメリカンフットボールに青春を捧げました。

ハンターは毎日のようにアメフトの練習に励み、日に日に自身の肉体と精神が成長しているのを感じていました。

中学入学当初は150cm35kgほどしかなかった体格も、高校卒業時には175cm90kgほどまで大きくなりました。

 

 (左がハンター、右が当時の親友のオースティン)

彼のアメフトの実力は目を見張るものがあり、大学から特待生として奨学金がもらえるほどでした。

しかし、彼は卒業前にアメフトを続けるのか迷っていました。

それは怪我のリスクを憂慮していたからです。

高校在学中にも脳震盪を3回起こし、骨折や脱臼も複数回経験しました。

彼は怪我で練習に参加できない間に、筋トレをして筋肉を落とさないように努めていました。

その時、筋トレの楽しさに気づき、もっと体を鍛えたいという思いも芽生えていました。

 

大学アメフトを選ぶのか。

父親と同じ道を選ぶのか。

 

二つの選択肢の間で揺れ動き、彼は迷った末にベントレー大学への入学を決めました。

 

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しかし、入学してからも彼は迷っていました。

「本当に俺の進むべき道はアメフトなのか」

来る日も来る日も頭を抱え、自分の行く末を案じていました。

毎日何度も自問自答して本当にやりたいことが何なのか考え込んだ末に、彼は答えを導き出しました。

「俺はボディビルダーになる」

本当は最初から分かっていたことでした。

しかし、将来への不安が先走ってしまい、その答えになかなか踏み出せずにいただけでした。

 

そして、その話を父親のリーに告げました。

「今の大学を辞めて、俺はプロのボディビルダーになりたい!」

リーは自分と同じ道を選んでくれて喜んでくれるのかと思いきや、その決断に大反対でした。

「アメフトを続けなさい。お前が積み上げてきた6年間が水の泡になるんだぞ。もし、ボディビルを始めるならまた1からやり直しになるが、その覚悟がお前には本当にあるのか?」

リーはボディビルという一つの競技を極めた人物だからこそ、一つの競技を続けることの大切さを誰よりも知っていました。

しかし、ハンターの意志はリーが想像する以上に固いものでした。

ハンターは大学1年生の時に死ぬ気でトレーニングと食事に向き合い、体重を18kgほど増やし、その本気度をリーに伝えました。

「もし大学でも高校の時みたいに大きな怪我をしてしまうと、ボディビルダーになる事すら叶わないかもしれない。だから、俺を信じてほしい。」

その言葉にリーは折れ、ハンターの決断を承諾しました。

 

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その後、彼はベントレー大学を辞め、テキサスA&M大学に編入して経済学の学位を取得して無事大学を卒業しました。

「あれ?ボディビルの話は?」

と思われた方も多いかもしれません。

もちろん、大学在学中も毎日トレーニングと食事を徹底していました。

しかし、大会には出場していませんでした。

それはまだ自分の実力が不足していると感じていたからです。

彼はボディビルという競技が1年や2年で大成するものではないと父親から学んでいました。

ゆっくりと長い時間をかけて、小さな成長を積み重ねていくことが何よりも大切だと彼は知っていました。

 

 (当時21歳のハンター)

そして彼はボディビルダーになると決意した19歳から約5年後の24歳の時に遂に大会に出場することになります。

彼が出場したのは2016年開催のNPC Branch Warren Classicでした。

実は初めての大会に出場する前からプロになるまでの綿密な計画をリーとともに立てていました。

地方大会→州大会→ジュニアナショナルズ→ナショナルズ

このように年々少しずつ出場する大会の規模を大きくして、最終的にナショナルズでプロカードを獲得するというプランでした。

そのため、最初の大会でつまづく事は許されませんでした。

毎日経験したことのないプレッシャーと向き合いながら、減量に取り組みました。

 

そして迎えた大会当日。

彼は大会で計画通りヘビー級、さらにはオーバーオールで優勝を飾り、ボディビルダーとして最高のスタートを切りました。

ハンター以外の選手たちも大会当日は緊張していますが、ハンターは「リー・ラブラダの息子」という大きなプレッシャーがあります。

父親の顔に泥を塗ることは絶対に許されません。

必ず勝たないといけないというプレッシャーを跳ね除けての見事な優勝でした。

 

タンパプロまで

以下がBranch Warren Classic以降の彼のアマチュア時代のキャリアです。

2016 NPC San Antonio Extravaganza 1位
2017 NPC Europa Dallas 1位
2018 NPC Junior USA Championships 1位
2018 NPC National Championships 1位

ご覧いただいたら分かりますが、彼は当初立てた計画通りに大会のキャリアを積み、見事に2018年のNational ChampionshipsIFBB PROカードを獲得しました。

結果だけ見ると順調に見えますが、優勝するためにたくさんの時間や娯楽を犠牲にしてきたことを忘れてはいけません。

毎日同じような食事、死ぬほどつらいトレーニングの日々。

その小さな積み重ねがあったからこその輝かしいキャリアでした。

National Championshipsの直前にはアメフト時代に怪我した肩の古傷を痛めてしまいました。

それでもプロになるために言い訳をすることなく、努力してつかみ取った優勝でした。

 

では、プロになってからも順調だったのか。

決してそうではありませんでした。

彼はNational Championships直前に負った怪我が悪化してしまい、2019年3月に手術を受けることになりました。

 

手術は無事成功しましたが、その後のリハビリが地獄のような日々でした。

プレス系の種目全般、アームカールなど肘を曲げる動作ができず、まともにトレーニングすることすらできませんでした。

今まで高重量でトレーニングしていた上腕二頭筋のトレーニングに至っては1kgのダンベルですら痛みが走り、絶望的でした。

「このままだとキャリアが終わってしまうんじゃないか」

一抹の不安を抱えながらも、目の前のできることを懸命に頑張り、回復を待ち続けました。

手術後、上半身のトレーニングは自由にできませんでしたが、下半身のトレーニングは問題はありませんでした。

そこで彼はその状況をプラスに考え、リハビリの期間、脚の強化に力を入れ始めました。

その結果、脚に関しては手術を受ける以前よりも大きく成長し、どっしりとした土台を作り上げることに成功したのです。

そして、徐々に以前のような感覚を取り戻し始め、2019年の12月頃からようやく満足いくトレーニングできるようになりました。

しかし、まだ彼は大会で優勝できるレベルに自分はいないと判断し、大会へは出場しませんでした。

回復後も今まで通り自分の成長に目を向け、一日も無駄にすることなく、毎日過ごしました。

 

そして2020年8月。

遂に彼は大会で優勝できるレベルまで自身が到達したと考え、出場することを決意しました。

彼が選んだ大会はタンパプロでした。

大会7カ月前から大会に向けてPrepを進め、来たる日に備えました。

元々はタンパプロより以前の大会に出場する予定でしたが、例のアレによって大会が次々に中止され、当初の計画を変更していました。

タンパプロにはイアン・ヴァリエールのような実力者も多数出場することが分かっていましたが、彼はその大会で勝てる自信しかありませんでした。

その自信は今まで積み上げてきた日々から生み出されるものであり、決して驕りではありません。

大会では素晴らしいコンディションと、父親譲りの美しいポージングを披露し、彼は見事に初出場の大会で優勝しました。

父親も初出場の大会で優勝した経験を持っているため、その嬉しさもありましたが、何よりも辛く、長いリハビリ生活を乗り越えての優勝の味は格別でした。

大会後には支えてくれた家族、コーチ、ファンなど多くの人たちへの感謝の気持ちがあふれました。

タンパプロの後は数日間今まで我慢していたことを楽しみ、その後はオリンピアへ向けてスイッチを切り替えました。

 

現在まで

タンパプロで優勝したことでオリンピアへの出場権を手にしたハンターは、残された4カ月間、ルーキーとしてできること全てをやり尽くしました。

何よりも彼には最強の味方である父親がいます。

彼はプロとして活動を始めたことで、リーがプロボディビルダーとしてどれだけ偉大な人物だったのか身を持って感じていました。

「いつか父親を超えたい」

しかし、2020年時点ではまだその領域には到達していないため、初めてのオリンピアはトップ6に入る事が目標でした。

大会前、もちろんハンターは緊張していましたが、ハンター以上に緊張していたのがリーでした。

オリンピア直前のリーは落ち着きがなく、ハンター以上に緊張した面持ちでした。

食事がのどを通らず、小刻みに震えているのが目に見えるほどでした。

期待と不安の気持ちが入り混じる中、ハンターはリーと共にオリンピアに臨みました。

結果は8位でした。

目標こそ達成できなかったものの、オリンピア初出場で8位という快挙を成し遂げ、大会を無事終えました。

大会後は自分の弱点が浮き彫りになったため、改善に向けてまた歩み始めました。

 

彼の大きな弱点とは背中です。

これは遺伝的要素がかなり強いですが、背中の下部が発達しにくく、トップの選手と比べると明らかに見劣りしています。

しかし、背中の遺伝子が優れていなくてもオリンピアで優勝している選手はいます。

彼はオリンピア以降は今まで以上に背中の改善に力を入れ、トレーニングに取り組みました。

 

そして2021年7月。

ハンターはシカゴプロで見事優勝し、2021年もオリンピアへの出場権を手にしました。

シカゴプロでは2020年のオリンピアの時よりも背中の厚みが増しており、過去に複数回オリンピアに出場経験があるローリー・ウィンクラーマックス・チャールズと張り合えていました。

 

シカゴプロの後は大会に出ずに、オリンピアだけを見据えていました。

オリンピアまで約2ヶ月残ってましたが、彼は減量の過程で栄養、トレーニング内容、カーディオなど全てインスタグラムに投稿しました。

もちろんその時々の体の状態も載せ、オリンピアまでPrepを包み隠すことは一切ありませんでした。

 

そして迎えた2021年のオリンピア。

結果は4位でした。

昨年達成できなかったファーストコールにも呼ばれ、チャンピオンのビッグラミーと肩を並べることができました。

ハンターはこれでようやくリーの記録に一歩近づくことができました。

しかし、リーはオリンピアの舞台でトップ4に7回入っています。

ただ、まだハンターは若いので父の記録を打ち破る可能性は十分あります。

そんな野心溢れる彼の2022年の目標。

それは優勝です。

2021年は4位に飛躍し、そのポテンシャルの高さを示しました。

今年のゲストポーズの体を見る限り、かなり調子が良いように見えます。

下馬評ではビッグラミーが3連覇するのではないかと予想されていますが、それを覆すことができるのか。

ハンターのオリンピア当日の体を楽しみに待ちましょう。

 

終わりに

以上がハンター・ラブラダの人生についての簡単な紹介になります。

6年間情熱を注ぎ込んだアメフトのキャリアを捨て、大学生時代にボディビルを始めることになりました。

5年間かけて作り上げた体で大会に臨み、描いたビジョンを次々に実現させていきました。

しかし、怪我が原因で一度は満足にトレーニングができない体になってしまいました。

それでも周りの人たちの応援を力に変え、挑戦し続けました。

”You’re gonna finish what I started. You’re gonna finish what I could not do.”

「俺が始めた物語をお前が完結させるんだ。俺ができなかったことをお前が成し遂げるんだ。」

これはハンターが父のリーから送られた言葉です。

数々の名誉ある大会で優勝してきた父親が唯一成し遂げられなかったオリンピアでの優勝

リーはハンターに対して誰よりも厳しいですが、誰よりも彼のことを強く信じてくれています。

ハンターが父親の夢を叶えることができるのか。

彼らの夢物語をこれからも追っていきましょう。

 

引用元:

Hunter Labrada — Complete Profile, Workout and Diet Program – Fitness Volt
Hunter Labrada complete profile and biography. The son of legendary Lee Labrada, young Hunter is making waves in Open bodybuilding.

ハンターのインスタグラム↓
https://www.instagram.com/hunterlabrada/

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